SAEKO ロング・インタビュー
「天上天下唯我独 "存"」
オフィシャルサイト
http://www.saeko.org/
2004年、ドイツからの逆輸入という形で衝撃のデビュー作「ABOVE HEAVEN BELOW HEAVEN」を発表した日本が世界に誇る女性メタルボーカリスト、SAEKOさん。 過去にあまり類の無い突然の海外デビュー故に、何か強力なコネでもあったのかと考えてしまいがちですが、とにかくこのインタビューを読んでいただければ、彼女が決して只のラッキーガールやポッと出の一発屋などではなく、様様な紆余曲折を経て現在に至っていることが理解していただけるはずです。 インディーズ時代から応援してきたファンの1人という立場から、自然とメールでのやり取りも約3ヶ月間に及び、その結果、精神的な部分までを含む、深く掘り下げた過去を総括するロング・インタビューとなりました。そしてより完成度を高めたいというご本人の意向から、数々の貴重な写真をご提供いただくことが出来ました(SAEKOさん、重ね重ねありがとうございます(^^))。 |
〜ヘヴィメタルとの出会い〜 |
・ ヘヴィメタルに出会う以前はどんな音楽を聴いていましたか?どんな流れを経てメタルにたどり着いたのか興味があります。 ●SAEKO: と言うよりも、ヘヴィメタルに出会う前からヘヴィメタルを知っていたんです。分かってもらえるかわかりませんが、物心ついた頃、つまり2〜3歳とかそれぐらいからですけど、頭の奥の方で音楽がいつも鳴っていたんです。その音楽はまるで、「魂の故郷」を思い起こさせるかの様な、とても心地良いものだったんです。でも、成長してくると、その音は他の人達には聴こえないらしいということに気が付きました。それに、自分の中でもその音楽が年月と共に段々ぼやけてきてしまってね。現実にそんな音楽はないかと色々聴いてみましたがどれも微妙に違うんです。歌謡曲でもないし、クラシックでもロックでもないし・・・。あえて言うなら教会音楽あたりが近かったですね。私はいつも、その「自分の中で鳴っていた音楽」を探し続けていたこともあって、同年代の友達が聴く歌謡曲等には正直興味が持てませんでした。それが結構コンプレックスやったんですけど(笑)。と言うのも、当時は工藤静香や光ゲンジやらおにゃんこクラブ(懐かしい〜(笑))が流行っていて、学校に行くと皆そういう歌謡曲の話をしてたんですけど、私は全然ついていけなくてね。そんな中で初めてハマった日本人歌手は中村あゆみでした・・・。でもやっぱりこれも所謂歌謡曲ではないですよね。
・ヘヴィメタルとの出会い、バンドを始めた切っ掛けについて教えて下さい(EUROPEを聴いていきなり「ワールドツアーをしたい」と思ったあたり、この人は違うなあと驚きました(^^; 普通なら「こういう音楽をやって みたい」とかですよね。) ●SAEKO: ある時ひょんな事からBON JOVIを聴いて、「わ!これ、凄い近い!(昔、頭の中で鳴っていた音楽に)」って思ったんです。で、彼らの載っていた雑誌(多分METAL GEAR)を買ったら、名盤特集の記事があって、「他にも近い音があるに違いない」と思ったから、その記事を手掛かりに色々聴いていったんです。どれも凄く近くって、「遂に見つけた!!」って感動しました。だって、その時が14歳、言わば10年以上探し続けて、現実には存在しない音楽なのかもしれないとさえ思ってたものに巡り合うことが出来たんですから。で、特にその時期にはまったEUROPEをビデオで初めて観た時に、また「これ知ってる!」って即座に思いました。昔から音楽が聴こえてたのと同じで、遠い遠い記憶の中で知ってたという感覚です。実際には、その時初めて見たのだから知ってるはずはないんですよ。だけど、その時私は確信したんです。「あ、私はこの為に生まれてきたんだ」って。 それまで深く考えた事はなかったけど、それから色々な事を考えました。宇宙の事とか、魂は永遠なのかとか・・・。でないと自分でもその「知っている」という感覚が説明つかないんです。だから、正確には「ワールドツアーをしたいと思った」と言うより、未来を垣間見たかの様に、「こうなると分かった」といった方が正しいかもしれません。
・個人的に影響を受けたアーティスト/バンドをいくつか挙げて下さい。
・自分の人生の中でこれだけは外せないというアルバムをいくつか(何枚でもOKです。)挙げて下さい(各アルバムに簡単なコメントを付けて下さい) ●SAEKO: EUROPEとHELLOWEEN全般--音楽的にだけではなく、私という人間形成においても、カイ・ハンセンやマイケル・キスクからの影響は大です。QUEENSRYCHEの「OPERATION MINDCRIME」とMEGADETHの「RUST IN PEACE」--社会や権力や人間という色々な事について凄く考えさせられました。最初は怖い感じがして避けてたんですけど(笑)、描いてある物が見えてきて段々ハマってしまって・・・。 中村あゆみの「FAIR CHILD」と「INNOCENT TEARS」--やっぱり自分が最初にハマった歌手なんで。私の家は両親共働きだし、当時一人でいることが多くて、自分は誰にも愛されてないとか思ってて。彼女の歌は時に淋しいんです。「両手を握り締める力より、もっと大事な愛にこの手で触れてみたい♪」とかって聴きながら、「淋しいのは私だけじゃないや」って。今思うと思春期を乗り越えるには大事なアルバムだったなぁと。 それと、TOBIAS SAMMETの「AVANTASIA 1&2」ですね。確か、”1”は倒れて入院中、人生を諦めかけた時期に、”2”はハンブルグへ行く前、シュヴェービッシュ・ハルというドイツの田舎町で、音楽をとって一人でドイツに残るか、帰って日本で落ち着くか悩んでいた時期にリリースされたんですよ。主人公ガブリエルの置かれている状況が、それぞれ、自分の当時の状況に凄くかぶってるように感じたので、私の決断におおいに関わったと思います。他にも色々ありますが、特に重要なのはこれぐらいです。 |
〜インディーズ時代〜 |
・ バンド活動を始めてからFAIRY MIRRORに至る流れを教えて下さい。 ●SAEKO: この辺はめちゃくちゃ長いので、FAIRY MIRRORのBAND PROFILEを見てください・・ ・って駄目ですか(笑)?でも、本気で長いんです。メンバーを揃えるだけで約6年かかってますから(笑)。その前も高校や大学でバンドしましたけど、メンバーは趣味感覚と言うか、誰も人生賭けてやろうなんて思ってなかったと思います。私はワールド・ツアーをやるつもりだったから、一人悶々としまくり(笑)。
・FAIRY MIRROR以前にやっていたINSANIAというバンドはどんなバンドだったのでしょうか ?
●SAEKO: FAIRYとINSANIAは、まぁ言えば同じバンドです。INSANIAで既にKOICHI・MARI(共にFAIRY MIRRORのメンバー)等とやってましたから。ある時、海外でINSANIAというバンドがデビューしてしまったので、名前変えようか?って・・・。
・ FAIRY MIRROR時代の活動について。今のSAEKOさんのやっている音楽性よりももっとジャーマンメタル寄りの音だったと思うのですが、この辺りは当時の自分の好みなどから自然と出てきたものだったのでしょうか。また、活動を通しての印象、エピソード(思い出)などを教えて下さい。 ●SAEKO: 私はいつも自分がやりたい事をやっているので、今よりもジャーマンメタル寄りだった、もしくは、逆に今ほどジャーマンメタルじゃなかったと言われても、「あぁ、客観的にはそうなんだ〜」って感じです。私は自分が聴きたい音楽を作りたいし、自分がやりたい事しかしません(笑)。自分を信じて生きていく事を歌うなら、まずその音楽が自分を信じて作り出されたものでないといけないと思うんです。 でも同時に、自己満足に終わってはいけないのも勿論考えています。自分のしたい事をやりつつ、いかに自己満足に終わらないか。やはり一緒に作業をする人の意見や、前向きなものだけではなく否定的な意見もしっかり受け止め、自分を見つめなおしながらやっていかないと。これは私の人生そのものにも当てはまるんです。私は自分を生きたい。社会によって決められたレールの上をただ流されて歩くのではなく、自分の道を自分の意思でしっかり踏みしめて歩きたい。だけど、それが「自分さえ良ければ他人はどうでもいい」というのではいけないと思っています。自分という存在を尊重した上で、いかに他人や社会を尊重できるか、自分を貫いた生き方が同時に、もし誰かや社会の役に立つのならば、そんな素晴らしい事はないと思っています。だから、こうして自分の為に作った音楽が、誰かの心に触れ、例え一人の人でも、何か淋しい時や辛い時にその人の力になるならば、私にとってそれ以上に素晴らしい事はないんです。自分自身、そうやって音楽に癒されてきたから。 ちょっと話がそれましたが、そういう微妙なバランスの上に全ては成り立ってますよね。だから、いくら私が自分のやりたい事をやると言っても、自己満足だけに終わりたくないならば、必然として一緒に作業をする人間によっての変化・インプットがあるんですよね。それが面白いところでもありますし。例えば今回、LARS(LARS RATZ/現METALIUM)のおかげでボーカル・スタイルに広がりが出たと思います。前は力で押すしかなかったけど、ヘヴィメタルでも優しく息だけで歌ったりとかそういうのは有りだって気付かせてもらいました。ただ、それをこなすにはもっともっと上達していかないといけないので(笑)、今も毎日、いや2日に一回かな?、発声練習やってます。HENNING(HENNING BASSE/現METALIUM)も頻繁に会ってコーチ続けてくれてますし。 ただ、こうしてサトシさんに、昔の方がジャーマンメタルよりだったと言われるのは、ある意味嬉しいですね。と言うのも、こちらで沢山受けたインタビューの中には、「LARSとやってるからこの音楽性だけど、これが本当にやりたい事ではないんでしょ?」っぽい質問もあって(苦笑)。そんな時は、サトシさんも知ってるように、「いやいや、私はこれがやりたいんです。昔からず〜っとそうなんです。好きな音楽の為に海も越えてきたのに、契約とる為だけに音楽性を変えたりなんかしません」って、そう思うんですよ(笑)。 |
〜挫折、そして復活へ〜
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・ その後FAIRY MIRRORから脱退することになってしまった訳ですが、その辺りの経緯を教えて下さい(色々語りにくい部分もあると思いますので、ニュアンスが伝わる程度で構いません。) ●SAEKO: 実は、その辺の記憶は私の中でも曖昧なんです。と言うのも、私、相当状態が酷かったんです。敢えて言う必要もないと思っていましたが、隠す必要もないかという気がしてきたので少し当時を振り返りたいと思います。 まず、倒れて病院に連れていかれたんですけど、体調だけではなく精神的にも重度の鬱状態と診断されて入院、それから発作を繰り返す日々が続きました。病院では薬で殆ど1日中寝かされ続けていたし、何がなんだか自分でもよく分からなくなっていました。そんな朦朧とした意識の中、今まで支えてくれたオーディエンスの皆さんの事を思ったのを憶えています。どのお医者さんにもこれ以上ライブは無理と言われたけど、「こんな形で終わりたくない。せめてステージ上から有難うを伝えたい。だから、ライヴだけは何があってもやる」と決めていました。で、「私は歌う為に生きてきたから必ず出来る!!」と言い張ったんです。それだけが毎日の支えでした。そんな状態でライブをするのは、考え様によっては甘いのかもしれません。だけど、私は諦めず信じ続ければ奇跡は起こるって、それを証明したかったんです。それが私の歌い続けてきた事なんです。そして、こんな状態だからこそ、自分自身に対してもその信じる力の存在を証明しなければならなかった。 私は当時の事を余り覚えていないんですが、母はよく覚えていて、ライブ会場へ行く時も私は車のシートに座れない状態で、寝かされて行ったそうです。今振り返るとね、私、いつも強く生きていたかったんだと思うんです。人前で弱音は絶対に吐きたくなかった。だからそんな状態でも会場へ着くとしゃんとしたんです、精神力で乗り切れた。だけど、勿論体にも精神にもかなりの無理を強いる訳で、ライブ後、病院に戻ってからの発作はかなり酷くて、なんとか活動を続けていきたかったけど、どんどん酷くなっていくし、自分でも「ああ、もう無理なんだ...」と認めたんです。で、FAIRYのメンバーに新しいボーカルを見つけて活動を続けて欲しいと伝えました。
・ 体調を壊してしまったのは、音楽的なプレッシャーやジレンマのようなものもあったからでしょうか? ●SAEKO: う〜ん、それも少しあったかもしれませんが、むしろ人生観に関しての問題でしたね。ほら、私って思い込み激しいタイプでしょ?14歳で海外をツアーする為に生まれてきたって確信したり。更に、一度信じ込んだらひたすら信じ続けるタイプでね。私、中学生になってもクラスで一人サンタさん信じてたんですよ(笑)。あほですよね。うちの親は、私がプレゼント欲しさに、まだ気づいてない演技してるんかと疑ってたそうです(笑)。 そんな私には、音楽以外にも、人生で衝撃の出会いと感じたものが幾つかあるんです。一つは、12、3歳の頃に見た映画「風の谷のナウシカ」。当時、学校でも軽いイジメみたいなのにあって、今思えば被害妄想だったのかもしれないけど、ここでもまた自分は誰にも愛されない駄目な人間と感じたんです。だからかな、ナウシカの、「自分を犠牲にしても誰かを本気で愛する」という姿勢に凄く感動したんです。「こんな風に強く生きたいな」と。 それから、もう少し成長して、社会に疑問を感じはじめた頃、何よりも私を悲しませたのは人間が理解しあえないという事。ニュースや新聞や政府のいう事や、同じ出来事でも各国によって伝え方が真実から離れていたりして、そんな言葉が人々の心に憎しみと恐怖を生み出して、理解の壁を遮断してしまう。他の人にも感情移入の激しい性格だから、傷ついた人を見ると自分の事のように悲しかったです。それに、命のはかなさを思うと凄い恐怖にも襲われたし、当時「海外ツアー」という夢を諦めた頃だったから、夢という自分の土台がなくなった虚無感とも重なって、とにかく人生が不安でたまらなくなったんです。 だから、何かこの世界における確証が欲しかったんでしょうね。狂ったように本を読み漁ったんです。で、ある日聖書を開いた時、涙が止まらなかった。「恐れるな!生きよ」と優しく、だけど強い言葉があったんです。それに、社会を見ている限り、まるで「力ある者」がいつも勝利するようでした。だけど、そこにあった言葉は、「愛」とか「信念」とか「真実」とか・・・。私は本気でそれを信じてみようと思った。更に、イエスは自分を十字架にかけた人達にさえ、「父よ、彼らを許してください」と、愛を貫いて死んでいくでしょ。ナウシカで感じた時のようにまた、ここまで強く生きたいと思った。 結局この世から争いが耐えないのも人が愛し合えないからで、憎しみは憎しみを繰り返すだけ。愛こそが最終兵器ではないか。だから、私も人を愛し抜いて、自分を傷つける人の中にも、輝く光を見て生きていこうと思ったんです。全てを信じ抜いてみよう。一個人である私に何が出来るかわからないけど、せめて私は自分自身の人生を恐れることなく奇跡を信じて戦い抜いてみようと決意しました。この社会の生存競争のなかで、多くの人が理想を諦めていくけど、私は諦めず生ききろうと。世界は個人の集まりで、全てはまず一人の人の心の中から生まれるのだから、自分自身を妥協する事は、世界の一部を妥協することと同じだと思ったんです。 だけど、そうやって全てを信じ続け、愛し続けようとした結果、自分を責めることになりました。 例えば、誰かにひどく裏切られてその人を心から愛しきれない時はそんな自分を責めたし、自分が誰かを傷つけてしまった時はもっと自分を責めました。また、人がいがみ合ってるのを見ると心が傷むから、彼らが理解しあってくれる様に間に入って努力する。だけど、溝が深まるばかりだったりすると、また自分の力の足りなさを責める。大袈裟に聴こえるかもしれないけど、嘘じゃないんです。私は本当に全ての人を愛したかったし、全ての人に理解し合い、愛し合って欲しかった。更に、他の面でも、妥協せずに生きようとするのは確かに甘くなかった。夢だけでは食べていけないし、いつもお金はなくて、寝る時間も惜しんであがきまくってました。 で、世の中はそんなに甘くないと言われれば言われるほど、もう半分やけくそになってきてね。むしろ余計に、何があっても全てを信じ、愛し続け、いつか信念が愛の奇跡を起こすと、自分自身に対しても証明しなければならないと感じたんです。それが証明されないならば、聖書で私が感動した言葉も嘘になるし、それじゃ人を傷つけて欲しいものを欲しいだけ手に入れて生きていく方がよいみたいじゃないですか。世界中で、貧困や戦争や、こんなにも「弱い者」が犠牲になっていくというのに。 その結果、限界にぶちあたったんですね。心と体に大きなダメージを与えることになり、そして、絶望しました。お医者さんには、極度の過労が原因と言われたんですけど、納得がいかなかったんです。「馬鹿にされ続けても奇跡を信じ続け、全ての人に幸せになって欲しいと祈り続けた自分、そんな自分の体が動かなくなり、一人病院のベッドの上に縛られている。結局人間なんて、生まれて、ただ死んでゆくそれだけか・・・。結局この世界では、理想は潰されていき、そして、他人を陥れようとする者や強い者が勝つのか・・・。信じられるものなんて何もないのかもしれない」。意識もしょっちゅうなくなるような状態で、医者に「ライブをさせることは出来ない」と言われた時、心の底から泣き叫んでしまいました。歌う為だけに生きてきた私が、それが出来ずに何の為に生きるのか。あまりのショックに訳がわからなくなり、落ちるところまで落ちてしまっていたと思います。そしてバンドを脱退。その後も色々な事があったけど、今振り返るとあの時期に学んだ事は計り知れない位大きいです。
・具体的には特にどんな事を学んだと感じていますか? ●SAEKO: やっぱり、まず理想より何より、生きていかなくてはいけないということですかね。というのは、私の酷い状態によって、私を愛してくれていた人達が心から傷つき、泣くのを見てしまったんでね。自分という存在は自分一人のものではない、この体と命は私と私の友達、家族、愛する全ての人のものだと気づきました。そして、生きていく限り、いつか必ず状況は変わるという事。病気の時期があったからこそ、家族とも分かり合った現在があると今では思います。つまり、あの時期は「順境」だったのに、当時の自分にはそれが分からず、全てが崩れ去っていくと感じていただけなんですよね。結局、何が幸せか、それは最後まで分からないんですよ。だから今は、ただ生きているというそのこと自体が奇跡なんではないかと思うんです。 奇跡は、何も特別なことじゃなく目の前で毎日普通に起こっているけど、以前の私はそれに気づかなかったんじゃないかな。目の前の何気ない一瞬一瞬。ここで、喜びも悲しみも愛も憎しみも絶望も希望も全てを経験できる。だから今はこの現実をありのままに歌っていきたいと思うんです。ありのままにというのはつまり、理想が崩されたりっていう部分も含めてね。確かに、理想だけで生きていけるなら素晴らしいけど、私はそれを追い続けてつぶれてしまったわけですからね、そういう冷たい現実がある。もちろん、今でも、限界ギリギリまでは自分の理想の為に闘い続けますよ。闘いを諦める気はない。だけど、何よりも”生きていく”のが大事だと気づいた今、そんな闘いの中で時々崩されしまう自分を責めることはないと思うんです。誰のせいでもなく、きっとそれが人間として生きるという事じゃないかと。だけど、それならばせめて傷みを分かち合いたいな。で、そこから明日をまた闘い生きていく力を分かち合う事ができればいいなって。
・FAIRY脱退時から海外で活動をしようと思い立つまでの流れを教えて下さい。また、ドイツを活動の場に選んだ理由は?
●SAEKO: 退院後も薬を飲まないとすぐリバウンドの発作が来る状態だったので、脱退後1年以上は通院治療していました。完治しなければ活動再開出来ないのに、1年以上もそういう状態が続くと、時々もう永遠に完治しないような気がして凄く不安にもなりました。音楽活動をやめて人生の全てを失ったように感じたし、ライブハウスで他のバンドを見るのも、なんらかの形で音楽に携わってる友達に会うのも辛かったです。だけど、そんな風に失ったものばかりを見て、「あの時は良かった」と言い続けて生きていたくはなかった。だから、まずはなんとか過去から解放されようと思って日本を出ました。
スイスの英語学校に2ヶ月留学して、毎日をゆったり生活する暖かい人々や、澄んだ空気と水、アルプスの山々に囲まれて生活するうちに、「自然(世界)はこんなに大きい。それに比べて人間って小さいなぁ、きっと一人の人間の抱えている問題なんて小さいものなんだ。」と思ったんです。「大きなこの世界の可能性に目を向けてみよう。私の人生はまだ終わってない」って。そんな時に偶然ドイツ人のFAIRY MIRRORファンの子からメールが届いて、WACKEN OPEN AIRに一緒に行かないかと誘われたんです。こんなチャンスもう無いかも?と思って行って、そこでの光景にびっくりしました。「凄い!!!」って。 そして思い出したんです。14の時に誓った夢、「世界をツアーする」を。そして、病院で母に言われた言葉を・・・、「あんたは確かに今まで持ってたものを全て失くしたかもしれへんけど、それは目の前に白紙のキャンパスがあるって事や。そこにどんな未来でも描けるねんで」って...。もう一度信じてみようと思いました。「必ず完治させて、ここに戻って来る。次は、バンドを探しに戻って来るんだ」と。
・ ドイツに渡ってからとりあえず生活の基盤を築くまで色々大変だったと思うのですが、その辺りの流れやエピソードなどを教えて下さい。言葉もよくわからない状態では、メタルうんぬん以前に、生活自体が困難を極めたのではないかと思うのですが。
●SAEKO: ドイツへ渡って最初2ヶ月はシュヴェービッシュ・ハルという田舎町にいたんです。やっぱり、何の保障も無いのに、音楽以外の全てを捨てるというのは生半可に決められることではなかった。後悔しないように、一人でじっくり考えてみようと思ってね。 結果、”やっぱり私には音楽しかない、目的地はハンブルグだ!”と直感して、3ヶ月目に移動したんですが、そこからが大変でした。観光ビザは3ヶ月で切れるので長期滞在ビザが必要になるんですが、なんせ頼れる人が誰もいないし、言葉も全く分からないし、住む家もどうやって探せばいいのか・・・。最初の3週間程かな、安いホテルに泊まったんですけど、朝から晩まで交わす言葉はたった一言、フロントでの「ハロー」だけなんです。私が死んでも誰も気づかへんって感じで、自分の意思で来たけど、予想していた以上に寂しかったです。人間てね、24時間誰とも言葉を交わさないで1ヶ月も生活したらちょっとおかしくなってくるんですよ(笑)。自分が誰か分からなくなる。誰にも自分を認識してもらえず、ず〜っと、通行人Aみたいな感じで。 だけど帰らなかったのは、そこまでの道のりを思ったからです。人一倍タフで才能もある人間にならどうって事なかったかもしれないけど、私は普通に怖がりだし特別才能がある訳でもない。そんな私にはそこまでの道のりは本当に長く大変なものだったんです。だから、どんなに寂しくても最低1年はやり抜こうと思いました。
・ 当初、ドイツでの音楽活動についてどのようなヴィジョンを考えていましたか?また、ラーズと出会うまでに具体的に行ったことなどを教えて下さい。 ●SAEKO: ヴィジョンというのは余りありませんでした。もちろんバンドを結成して、WACKENで歌いたい等は思っていましたが、基本的には「結果は結果」だと思ってたんです。「やるだけやって辿り着けるところを見てやろう」という感じですかね。 自分にとって一番大切な事は一瞬一瞬本当の自分を生きていく事。でも、難しいのは、本当の自分って何?って事で、そんな事、考えたりしません?私はず〜っと考えてきたんです。特に14歳で、メタルと出会って自分の未来を確信した時以降はね。 少し話しが戻りますけど、それがどんな感じだったかと言うと、心の奥にはっきりと何かが聞こえたんです。と言うより、見えたのかな。とにかく何かがはっきりと・・・。表現する的確な言葉が無くていつも困るんですけど(笑)、う〜ん、心の奥という表現も完全には正しくないかな。何かこう、この世界そのもの、宇宙とか、そういう大きな存在が私の一番深いところに語りかけてくる感じなんです。これを話すと、いつもアホとか天然とか笑われるんで、公に言うことないと思ってたけど、もういいです。このインタビュー語りまくりだし(笑)、この辺を抜きにしては私がドイツへ行った理由を説明しきれないですから・・・。 で、その声みたいな何かは、日々の生活に追われるとたまに騒音にかき消されたりするけど、以来、16年間ずっと聞こえてるんです。なんだろう、本当に魂の故郷みたいでね、その声に身を委ねる時、全ての人や物がいかに美しいか実感させられるんです。そう、自分も含め、全ての人の中の”本当の自分”、ちょっとクサイ言葉を借りるなら”真実の愛”みたいなのが見えた気がしてね。それがあまりにも美しいものだから、私は誰かに伝えたかったし、他にそれを聞いてる人を探してもいました・・・。だって、誰とも分かち合えないのって寂しいでしょ。 で、とにかくそれを追い続ければ、本当の自分を生きられる気がしたし、伝える方法も見つかるかなって・・・。あの時期は、その何かが”ドイツへ行け”とあまりにもはっきり呼び続けるものだから、そこに待っているものを自分の目で確かめなくてはならなかった。答えを見つけるまでそれに追われ続けることはわかってたから。だから、瞬間瞬間その声を逃さずに答えを見つけ出す、それしか考えてなかったです。 でも、自分探しと言うと綺麗に聞こえますけど、結果的には家族や恋人を捨ててきてしまったので、勝手な自分を反省する時も多いし、それが良い事か、悪い事かもよくわかりません。でもね、結局、私はこういう生き方しかできないんです。時々、もういい加減、本当の自分とか、世界の意味とかそんな事考えずに生きたいのにって、自分でも困ったりします。 LARSと出会うまでは、CDのブックレットにも載せたフライヤーを配っていました。メタル系雑誌のライブ情報をチェックして、ライブがある時は行って観客に 配ったり、ライブハウスのオーナーやバンドのクルー等にも事情を説明して連絡先を渡しました。ロックバーなんかにも配りに行って、そんな1枚がラーズの元に届いたんです。
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〜LARSとの出会い/1stアルバム発表〜
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・ LARSに出会った顛末について教えて下さい(出会いから契約に至るまでの流れ。エピソードなどなど)。おいしい話すぎて疑ってみたりしませんでしたか?(^^:。また、LARSとやってみようと思った(決断した)理由なども教えて下さい。(LARS側からSAEKOさんに望むものと、SAEKOさんが今後活動していくにあたって追及していきたいものが上手く合致したということでしょうか?) ●SAEKO: ある日私はHeadbanger's Ballroomというライブハウス・バーのDJに、フライヤーと過去の音源と連絡先を渡したんです。その彼がLARSに私の事を話したらしく、突然LARSから電話がかかってきました。 彼は最初自分の名前を名乗らずに、「僕はプロデューサーだ。君が日本人のメタル・シンガーで、メンバーを探していると聞いたけど、ちょっと会って話をしないか?」と言われました。正直言うと、私はメンバーを探していたのであって、プロデューサーを探していたのではないので、余り乗り気ではなかったです。自分の中では80%位断る気でいました。というのも、プロデューサーとかレーベルの人とか、全員が全員ではないですけど、大抵ビジネスの事ばかり言うんです。だから、過去に何回かそういう話を断ってきてて、私は契約をとりにドイツへ行った訳ではないし、もちろん有名になる為に行った訳でもない。これは自分への挑戦だったから、まずはメンバーを探して妥協のない音楽をやる事が最初やと思ってました。 実を言うと、LARSに会う前にも偶然他のプロデューサーに会ったんです。契約の話とか、色々おいしい話をされて断りました。だって、「どうやったら有名になれるか」なんて話に私は興味ないんです。他人のアイデアをコピーする事もできません。いつか必ずもっと自己表現という面からのアプローチをしている人に会えると信じてドイツまで来たのに、またこれかと落ち込んでいた時に、次の電話がまたプロデューサーからでしょう? 「あ、また同じやろうな」って思いました。でも、何も聞かずに断るのも失礼かと思い、とりあえず会って話してみる事にしました。 今でもよく憶えてるんですが、LARSからの最初の質問は、「他人のスタイルをコピーできる?」でした。「来たよ、またこの質問」って感じですよね。たぶんここで無理と言ってまたこの話は流れるなと思いましたが、実際出来ないので、「出来ません。私は自分の人生を歌っているから」と答えました。すると彼は「Perfect!!俺が探しているのはそういう奴なんだ!」って言うんです。私「え?!」って感じで・・・(笑)。その後も色々質問したりされたりして、私は「やっと正しい人に出会えた!」と感じたんです。彼は言いました。「お前が信じる事をやれ。それが一番大事だ」と。私、LARSに言いましたよ、「貴方が私を呼んだの?!」って(笑)。
・ LARSが関わってくれることになり、日本で活動していた時期(全て自分自身で行う)とはかなりスタンスが変わったと思うのですが、そのあたり何か思うところがありましたか?他人からある程度コントロールされるという状況になったと思うのですが。 ●SAEKO: いや、むしろ以前より自由になった感じですね。これは決して以前が自由でなかったという訳ではないんですよ。以前はバンドの一員な訳ですから、そこで100%自分の思うようになったらおかしいんです。それはつまり、私が他のメンバーの考えを無視している事になるでしょ。共同作業の中では、皆で意見を出し合って新しいものを見つけていくんだと思います。でも、今回はソロな訳で、LARSも「SAEKOはどうしたい?」と尋ねてくるんです。一人で自由な分、自身がはっきりとビジョンを見ておかないといけないと気づき、凄く責任を感じました。もちろん、LARS自身も色々アイディアを出して助けてくれましたけど、コントロールするというよりは、私の可能性を引き出そうとしてくれてる感じでした。基本的には「お前の信じる事をやれ!」な人ですから(笑)。
・METALIUMのアルバム(「- As One - Chpt IV」)にゲスト参加することになった理由、本格的なプロのレコーディングに初?参加した印象、また、SAEKOさん自身はこれに参加することで何をアピールしたかった(出来た?)でしょうか。 ●SAEKO:参加することになったのは、これまた偶然なんですよ。タイミングがぴったりだった。彼らは新作をレコーディングしていて、そこに登場する女メタル戦士メタリアーナ役の女性メタル・シンガーを探してたんです。そこに私が現れたと・・・。LARSに、「SAEKO、メタルの為に一人でやってきたお前はまさに女メタル戦士だ」って言われて。とにかく、お互いにね、出会いに関しては凄く不思議な何か運命めいたものさえ感じてるんですよ。 何をアピールするかについては、そんなん考える余裕なかったですね。私いつもアップアップなんで(笑)。つまり、全ては自分への挑戦なんですよ。自分の声が海を越えて色んな国に届く。これは凄い挑戦で、初めての事だからどんな結末になるのかもよく分からない。だからやるんです、答えを知る為に。で、勿論やって良かったと思ってますよ。この経験のおかげで、自分のレコーディングの時には硬くならずに歌うことが出来ましたし。
・1stアルバム「ABOVE HEAVEN BELOW HEAVEN」を作っていく上で方向性やテーマなどはありましたか? ●SAEKO: 基本的に描いている事はFAIRY MIRRORの時と変わっていません。この心の奥の囁き、言葉にならないその叫びをどうにかして表現したい。それが、私がFAIRYの時からやり続けてきた事です。伝えたって何にもならないのかもしれない。それでも伝えようとせずにはいられない。それが私なんです。ただ、まだまだ力不足と言うか、描ききれていない気がしますし、どうすればいいのか考えています。
・ 楽曲はどのように作っていきましたか?(作曲でLARSやMICHAELの名前があったり、FAIRY時代と比較するとかなり曲調に広がりを感じたので、LARSやMICHAELからのインプットも大きかったのかなと。) ●SAEKO: 12曲中9曲は原型となるアイデアを私が作詞・作曲して持っていき、それを彼らとともにアレンジする形をとりました。 最初のオーディション用の曲であった"SINNERS FOR FALSE LIGHTS" を含め、残り3曲はMICHAELとLARSのアイデアをもとに3人でアレンジしました。個人的にはアレンジ段階より、一人で曲を書いている段階の方がアイデアが沸いてこなかったりで難しかったです。アレンジについては、LARS、MICHAEL共、凄くオープンで、皆で意見を出し合って、良い意味でリラックスして出来ました。エゴのぶつかり合いみたいな事も全然無く、本当にいい人達に出会えたなぁと感じました。
・ 和のテイストの導入についての質問です。日本人が海外で勝負しようとする場合に和のテイストを導入するのは効果的だと思う反面、日本人のリスナーとしては逆に鼻につく(違和感を感じてしまう)と思います。SAEKOさんの場合、戦略的な意味合いではなく、感覚的にごく自然に取り入れているように感じましたが、その辺りいかがでしょうか? ●SAEKO: 戦略的に形だけ何かを利用すること、それは私が最も嫌うことなので、ありません。でも、人の感じ方はそれぞれだし、そうとる方がいても仕方ないと思っています。”自分”を表現したかっただけなんですけどね。2年、3年、母国を離れて海外の人々の中で生活すると、自分のアイデンティティーとしての日本を感じずにはいられないんです。でなければ、無国籍人という事になるでしょ?そんななかで、和のティストが少しも感じられない、他のヨーロッパのバンドと同じサウンドを作る方がどこか違和感を感じたんです。全ての人間はたとえ無意識であったとしても、文化や歴史を背後に背負っているし、それは大事にしていくべきだと思います。だから自然とこういう形になりました。
・ アルバムの中に出てくる「天上天下唯我独尊」という言葉ですが、これって取り方によっては凄く独善的な言葉と誤解されがちですが、SAEKOさんがこの言葉に込めた気持ちを教えて下さい。(この言葉って、「誰もが唯一にして尊い存在である」というような意味ですよね。「この世で自分が唯一のエライ存在」てな風に間違えて使われることが多いようです。) ●SAEKO: 私は唯我独尊というより、むしろ唯我独「存」に近い意味で、この世界を捉えているんです。ちょっとややこしいので説明しますね。 この世界にいる全ての人はたった一人のかけがえの無い存在で、その一人一人の価値は計り知れないと思っています。ただ、同時に、この世には私しか存在しないのではないかと思う時がある。大抵の宗教には、「全ての人間は繋がっている」とか、「兄弟である」というような言葉がありますよね。そういう事なんです。時に、自分はこの空、この木、目に見えるもの全てと深いところで繋がっていて、実は全ては一つなんではないかと思う時があります。で、もし私が全てならば、貴方が全てだという事もできる。それは、私は貴方であり、貴方は私であるからです。これが私が1曲目で語った”唯君独尊(存)”に繋がってくるんですね。 私達の目は「形」として分離した私達しか見ないけれど、実は全てのものは一つ。だから、まずはそんな自分自身を尊ぶ事から、この世界を尊ぶ気持ちが生まれる気がする。だって、自分を本気で愛していない人に他人を本気で愛すことができるのか疑問なんです。結局のところ、私は「それぞれの人はそれぞれの人として尊い」と言いたかったんです。全ての人はかけがえのないたった一人の存在として美しいのだから、それに気づいて欲しかった。そして、その美しさをそれぞれの人生で追求していって欲しいんです。もちろん、私自身も「最高の自分」を追求して生きていきたいです。生きているというその事実をただ追いかけていきたい。 さっき出た話とかぶりますが、昔、本気で世界中の人が理解し合って共存できる幸せな世界を夢見たんです。馬鹿だって言われましたけどね。で、思ったのは、世界は個人の集まりなんですよね。それぞれの人間が自分自身を諦めてしまったら、その総体である世界について諦めてしまうのは当然だし、逆に、一人の人が精一杯輝けば、それは世界の一部が輝いたことになるのではないかな。現実の様々な地球上の問題を見て、最近は、全ての人が同時に幸せになることは不可能だとは気づきましたけど、それでも出来る限りの事はしたいんです。もし私が自分自身を、そして、一人の人間でも本当に幸せに出来れば、それは世界を少し救ったことになるんではないかな。 だけどこれは本当に難しい。何故なら、何が本当の幸せなのか、それを見極めるのがまず難しいですもんね。
・ FAIRY MIRROR時代の楽曲である"SINS FOR THE GODS"を1曲目(正確にはイントロ後の2曲目)に収録した理由を教えて下さい。また、この曲の意味するところ伝えたい事などありましたら教えて下さい。(FAIRY MIRROR時代からのファンとしては、個人的には1曲目にコレがきてビックリしたと同時に凄く嬉しかったですねー。過去の自分の活動にプライドを持っていないと出来ませんよね。) ●SAEKO: 曲順は全体的な流れを考えてラーズと相談して決めたんですが、私がこれを1曲目にしたくて、彼も納得してくれました。過去の活動については、もちろん、他人にどう言われようとも全てにプライドを持っています。確かに振り返った時、未熟な点や色々気になる事はあるけど、一つ自分自身に胸をはって言える事があります。
あれは当時の自分のベストだったと・・・。 私の場合、結果はたいして重要ではない。それよりも、本気で生きようとする事、それが重要なんです。本気で喜び、本気で傷ついて、本気で生きる。かけがえのないこのたった一つの命を与えられたのだから。ちなみに、これは10年ほど前、当時のパレスチナとイスラエルの紛争について感じた事を書きました。何故人はわかりあえないのだろうかって。だけど、最近この曲の歌詞を見た人に、現在の情勢の事を歌っているねと言われたんです。つまりはいつの時代も人は同じ事を繰り返しているんですね。そんな大きな世界の流れの中で、この小さな私達個人は一体何が出来るのだろう?私は今もそれを知りたいです。
・ アルバムに収録されている各楽曲について、どんなことを歌っているのか教えて下さい。 ●SAEKO: はい。では 1.ABOVE HEAVEN, BELOW HEAVEN 2.SINS FOR THE GODSの2曲については他の問いである程度答えたので、3曲目から説明しますね。 3 .NATURE OF MORTALITY 4. ON THE WAY TO ETERNITY 5. SEEK THE LIGHT 6. HANDS OF MIGHT 7. SINNERS FOR FALSE LIGHTS 8. WAY TO THE ONE 9. DON'T BE AFRAID 10. BIRTHRIGHT 11. SONG OF DELIGHT 12. HEAVEN ABOVE, HEAVEN BELOW 13. MY PRAYER
・アルバムには現FAIRY MIRRORのMARIさんがBASSとして参加していますが、彼女が参加することになった経緯について教えて下さい。(例えば地元のミュージシャンを使うのが一番合理的かと思うのですが、そこを敢えてMARIさんに参加してもらった意味など) ●SAEKO: 地元のミュージシャンを使う方が合理的だったかもしれないけど、私にとって、彼女とアルバムを作るというのは特別な意味があって・・・。私には、彼女が最高のベーシストなんです。もし、世界中のどんな有名なミュージシャンの参加も可能だったとしても、やっぱり迷わず「マリさんに弾いて欲しい!」って思います。音楽的にはもちろんだけど、彼女とは人生観等でも理解し合える事が多いし、何より私が歌い続ける理由をよくわかってくれる。彼女は前に、音楽をやっている理由はそれが彼女の存在そのものだからと言ってて、私もそんな感じかな。色々大変な時も凄く支えてくれましたし、魂の友ですかね。 そんな事もあって、2003年秋に彼女が私を訪ねてドイツまで遊びに来てくれたんです。まさか当時は一緒にアルバムを作れるとは思ってなかったですけど、とにかくその時スタジオに行ってラーズに彼女を紹介したんですよ。彼も以前にFAIRY MIRROR時の私のライブビデオで彼女の演奏を見た時、「なかなかいいベースや」って言ってましたし。だからその後、メンバーについてラーズと話を進めている時、自然とそういう流れになったんです。 FAIRY MIRROR当時からお互い「暗闇の中でも信じれば光は見える」みたいな事がテーマで、それはずっと今も変わらずあるんですけど、当時は私が病気で脱退したりで結局一緒にアルバムを作るという夢は叶わなかったでしょ。でも、3年以上たって、まさに「信じれば光は見える」、夢が叶った感じです。
・ アルバムを作り終えての率直な感想を教えて下さい。(一つの作品としての評価、作ったことに対する感想、自分が思い描いていたものが作れたか、etc) ●SAEKO: 凄く満足してます。もちろんまだまだ成長していかなければならないと感じますし、もっともっといいアルバムを作っていきたい。だけど、繰り返し言いますが、私にとっては、ベストを尽くして生きていく事が一番大事なんです。ベストを尽くしたと胸を張っていえるのなら、その結果はやっぱりその時点でのベストやと思うんです。そういう意味で満足してます。でもまだ実力不足だし、次のアルバムでもベストを尽くすので、それまでにもっともっと成長していたいです。 |
〜そして今〜
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・ アルバムを発表後にどのような活動をされてきたか簡単に教えて下さい。(自分が知ってるのはWACKENでのプロモ活動、ドロとのツアー、 日本でのプロモくらいなのですが。) ●SAEKO: こっちでもドイツ以外に、スペインとフランスでプロモしました。後、インタビュー等は電話やメールで色んな国の雑誌から受けましたよ。でも、まだ一枚目だし、余り知られてはいないと思います。
・ 昨年のWACKENでは具体的にどのような事を行ったのでしょうか?また、プロモとはいえ「見る立場」から「見られる立場」に変わったことで色々感じるものがあったと思うのですがいかがですか? ●SAEKO: インタビューとサイン会、リスニング・パーティです。この時が初インタビューだったので、やっぱり緊張しました。私、些細な嘘もつけない性格だから、一言一言に凄い責任を感じましたね。例えば、「心の声に従います」って言ったら、本当にそうするし。
・プロモとしてですが昨年久しぶり?に日本に帰った印象はいかがでしたか?
●SAEKO: 楽しかったです。友達とか家族とか色々な人に会えたし、LARSも一緒に2日ほど大阪でオフがあったので、色々と見せてまわりました。実家の近所の夏祭りにLARSを連れていったんですけど、金魚すくいに、亀釣り・・・「動物虐待するな〜!」って怒られました(笑)。
・DOROとのツアーについて教えて下さい。(どういう形式のツアーで、SAEKOさんはどんな形で出演したのか、自分の曲を演奏したのならどの曲をやったのか、バンド形式だったなら参加メンバーは誰だったのか。「SAEKO」として初めて実際に演奏をした感想、周囲やお客さんの反応など。) ●SAEKO: DOROのバンドのメンバーとオーケストラが一緒に私の曲もプレイしてくれました。
・ここまで活動してきた中でのドイツのシーンに対する感想を教えて下さい。
●SAEKO: 実を言うとあまりこういう分析系の質問は得意でないんですよね(笑)。う〜ん、そうですね、こっちだと大きなフェスティバルもあるし、ツアーでもすぐバスで国境を越えていけるでしょう?雑誌も各国から取材に来るし、そういう意味でより大きな可能性があると感じましたね。ツアー中もスタッフや他のメンバーと皆でご飯食べてる時にふとそれぞれの出身国の話になって、そしたら殆ど全員違う国でね、ドイツ人、アメリカ人、イギリス人 、ハンガリー人、ロシア人、スペイン人・・・私、と本当国際色豊かやったんですよ。音楽の為に国を出てくるなんて私だけじゃないんやぁって思ってね。それだけ気合が入ってるし競争も激しい気がしますけれども、その分やりがい感じますよ。それと、インディーとメジャーの区別がはっきりしていないのも私は好きですね。
・今現在はどんな活動をしているのか、また今後の予定や抱負について教えて下さい。 ●SAEKO: 今は次のアルバムに向けて曲作りをしているところです。今後の予定としては、今年のWACKENでプレイ出来そうです。まだ詳しい事までは決まっていませんが、2001年に初めてWACKENを訪れた時は、どんな形であれ、まさかこんなに早く実現出来るなんて思ってなかったし、正に夢の再出発地点みたいなものですから、これは特別なことですよね。次は日本でのライブを実現出来たら嬉しいな〜。今後の抱負としては、とにかく最高の自分を目指して挑戦し続けていきたいです。 ・最後にこのインタビューを読んでくれた読者の方、及びアルバムを聴いてくれたリスナーへのメッセージをお願いします。
●SAEKO: 私は自分を信じ続けてここまで来れたから、皆にも自分を信じ続けて欲しいなと思うんです。誰もが世界でたった一人のかけがえのない人だから、「天上天下唯君独尊」です。毎日悲しいニュースも一杯の世の中で、私に出来るのは、結局精一杯自分を生きていくことくらいだけど、もしかしてこんな私と同じような事を考えている人がいたら、一緒になら何か出来る日が来るかもしれない・・・。う〜ん、誰も同じ様に考えてなかったら?!・・・、きっと私はおかしな人と思われるだけで、それは悲しいけど(笑)、少なくとも、こんな生き方もあるってわかってもらえたら嬉しいです。誰もがありのままに輝けるように、私も私らしく生きる輝きを追求していきたい。 それと、何よりも、かなりの長文インタビューを最後まで読んで頂けて嬉しいです。
★インタビューを読んでの感想、アルバムを聴いた感想などぜひお寄せください。
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