Mastermind
左から 渡会喜之(G)/ 小嶋信一(Ds)/ 佐藤嘉哉(G)/ 佐藤則夫(Vo)/ 長谷川尚之(B)

オフィシャルサイト
http://www.mastermind-metal.com/

 メタリック&パワフルなハイトーン・ボーカルとテクニカル&メロディックなツインリードを軸にしたサウンドが幅広い支持を得ている日本のメロディック・パワー/へヴィ・メタルバンド、Mastermind。今年2月には通産3作目(メジャーでは2作目)にあたるフル・アルバム「TO THE WORLD BEYOND」を発表。独自のサウンドを更に推し進め、文字通り彼らの最高傑作となった同作品を引っさげ、現在彼らは精力的に国内ツアーを続行中。そんな彼らに、先日のU.D.O.初来日公演のオープニング・アクトとして出演した6月5日(東京初日)のライヴ前の貴重な時間を割いていただき、インタビューを敢行してまいりました。

 今回のテーマはずばり「マスタマの歴史の総括」です。9年に亘る歴史を振り返りながら、ひたすらざっくばらんに本音で語っていただいたことで、彼らの素の魅力がダイレクトに伝わる内容になったと思います。

 もしこの記事を読んで少しでも彼らに興味を持ったなら、彼らの魅力の真骨頂であるライヴに足を運んでみてください(ちなみに自分も彼らのファンになった切っ掛けはライヴでした)。あ、勿論アルバムも買って下さい(^^;

 

 (目次)

〜創世記〜

〜デモテープ時代

〜1stアルバム「Song For The New World」発表〜

〜2ndアルバム「The Way I Go」発表

〜3rdアルバム「To The World Beyond」発表〜




創世記

1995年 3月
元OUTSTANDINGのWATARAI(Gtr)、YOSHIYA(Gtr) と、元JACK HAMMERのNORIO(Vo)、KOJIMA(Drs)、上田(Ba)が出会い「Mastermind」結成。

1995年 6月
初ライブを行う。

●まず始めに、Mastermind(以下「マスタマ」)とはどんな音楽性のバンドなのかを、マスタマを知らない人にも分かり易いような感じで教えて下さい。
佐藤則夫(Vo:以下「N」):どうなんでしょうか・・・「メタル」ですね。メタル。
一同:(笑)
●あ、出来たら初心者の方の興味をひくような感じで例えてもらえるとありがたいです。例えばジャンルでなら「メロスピ」であるとか。
N:実際どうなんでしょうね・・・「なんとかメタル」というような冠の付かない、普通のメタルだと思ってますね。
佐藤嘉哉(G:以下「Y」):特に意識してないですね。みんなで作った音がこういう音というだけで。聴いた人が「これは何だろう?」と考えてくれればいいかな。聴いた人が思うのであれば「メロスピ」でも「様式美」でもいいし。
N: 逆にギター2人が速弾きだということからか、初期の頃はよく「様式美」とか言われたけど・・・今はそういう風には言われなくなりましたね。まあそれはパフォーマンスが全くそれらしくないというのが大きいかと思いますが。
●昔はヒラヒラ・ブラウスとか着てたことありましたよね?
一同:(笑)
N:「なんとかメタル」ってのじゃないけど、例えば"The Way I Go"を聴いて「これはマスタマっぽい曲だ!」っていうような感覚ってみんな持ってると思うんですよ。だから「マスタマっぽいメタル」って感じで。
●じゃあ音楽性は「マスタマ・メタル」ってことで・・・。
一同:(笑)
N:「俺たちはマスタマ・メタルだぜ!!」とかドーンと見出しに太字で載せられて、それでまた反感を買うと(笑)。態度デケエとか言われたり(笑)。

 

●マスタマは元OUTSTANDINGと元JACK HAMMERという2つのバンドが母体となって生まれたわけですが、その2つのバンドは一体どんなバンドだったのでしょうか?
渡会喜之(G:以下「W」):OUTSTANDINGは・・・かなりマスタマチックなバンドでしたね。
●ヴォーカルも同じくハイトーンな人でしたしね。OUTSTANDING時代の曲をマスタマでも演奏していますが、まんまああいう感じの音のバンドだったということでよろしいでしょうか?
W: 結構リフというよりも単音のイントロとかそういうのが多かった記憶が。
N:お! 今で言うメロスピの走り??
一同:(笑)
●ではJACK HAMMERは?
N: これは載せないでほしいんですけど(笑)、今のマスタマの良い所が全然発揮出来ていなかったというか・・・。
一同:(爆笑)
●両バンドの解散の理由などを教えて下さい。
W:OUTSTANDINGはDREAM THEATER的な音楽性に変わってしまい、自分のやりたいことではなかったので「じゃ辞めます」と。
N:JACK HAMMERはさっき言ったようなバンドだったので、なんとか良い部分を増やしたいと、自分が色々「もっとこうして欲しい」とか言ってたら、リーダーが辞めることになり、「それなら解散でしょう」という流れに。
●JACK HAMMERというバンド名はANVILの"JACK HAMMER"から取ったんでしょうか?
N:そうです。なんか良いバンド名は無いかと考えてたら、当時のベースの人が "JACK HAMMER"と言ったのを聞いて、「ああ、それでいいじゃん!」と。あまり深く考えてつけてません(笑)。
●ではMastermindというバンド名の由来も教えて下さい。
N:いくつか候補はあがってたものの全然決まらなくて、たまたまその中にMastermindという名前があって、「とりあえずこの名前でライヴやるか。良いのが浮かんだらまた変えればいいや 」という感じで、まあそのうちこうなっちゃったと。
●なんか偉そうなバンド名にしたかったという話を以前インタビューで読みましたが。
N:あ、そうそう。あとは"PRIDE"とかも候補にありました。
●Mastermindというと、海外に同名異バンドが存在しますが、特に問題とか無いのでしょうか?
N:黙殺中です(笑)。
マネージャー(以下「M」):訴えられたりとかでは無いんですが、こないだメールが届きました。
N:「False Mastermind, you must be destroyed!」でしたっけ? それ読んでみんなで「良いねえ、良いねえ」と。
一同:(爆笑)

 

●マスタマを結成する際に、どんなバンドにしていこうというような考えがありましたか?
Y:何のヴィジョンも無かったよね。
N:そうそう。
一同:(爆笑)
長谷川尚之(B:以下「H」):行き当たりバッタリだなぁ(笑)。
●結成までの流れを教えて下さい。
N:JACK HAMMERの解散を決めたミーティングの翌日の昼間に、俺が「またギターとか探すのめんどくせえなあ」とか言いながら風呂に入ってて、「そういえばOUTSTANDINGのあの2人って今何やってんのかなあ」とふと思い浮かんだんですね。で、風呂から上がったらドラムの小嶋から電話が来たので、「今OUTSTANDINGのギター2人って何やってるんだろうね」とか話をしました。その日の晩に当時長谷川君の在籍していたADMISSION FREEというバンドのライヴを観にいったら、客席に渡会先生がいたわけです。「おお!あれはOUTSTANDINGだ!!」とか思って、「やべえ、捕獲捕獲!! 」とか言って。すごく下手に出て「あのう・・・OUTSTANDINGの方ですよね?」とか言ったりしながら、僕と小嶋くんのツイン接待でまんまと捕獲に成功した訳です。
W:その時は、絶えず俺の横にはのりをさんか小嶋さんがピッタリ張り付いてました(笑)。
●当時はお互いに面識は無かった訳ですか?
N:俺はOUTSTANDINGのファンだったので知ってましたよ。
W:俺もJACK HAMMERはエクスプロージョンに観に行ったことがありました。
Y:俺もJACK HAMMERとは川口モンスターで1度対バンしたので。
N:対バンした時に「うわぁ、この2本のギターはスゲエ!加入したい!」とか思ったんですよ。でも当時OUTSTANDINGはライヴ・スケジュールがビッチリ決まっていたので、バンドがうまくいっているんだなと思い断念しました。楽屋でも話し掛けたかったんですが、当時の2人は、もう「話し掛けるなオーラ」がもの凄くて。
一同:(笑)
N:モンスターの楽屋の入り口にソファーがあったんですよ。そこに渡会さんがこうやって(足なげだして)「ドーーン!」と座ってるわけですよ。で、普通は人が前を通ろうとしたら「あっ!」とか言って足を引っ込めたりするじゃないですか。でも全然引っ込めないんですよ(笑)。 「やっぱこういうギターを弾くヤツはこうなんだなあ」とか思って。「やっぱいちファンであるしかないんだなあ」って感じでした。
一同:(爆笑)
W:俺それ覚えてないんだよなあ(苦笑)。
Y:俺はJACK HAMMERを初めて観た時の事をハッキリ覚えてる。当時の則夫さんはモロにマイク・ヴェセーラちっくだったんで、「いやあ、このヴォーカルはスゲエなあ・・・でも曲がつまんねえなあ」と。
一同:(爆笑)
Y:明確に覚えてるのはそれだけだよ(笑)。
W:俺もエクスプロージョンで観た時に「則夫さんスゲエ!」とか思って、 OUTSTANDINGのリハーサルの時にやたら「JACK HAMMERのヴォーカル、上手いよ上手いよ!」とか言ってたら、当時のヴォーカルにすげえムッとされました。
一同:(爆笑)
N:渡会君としては結成のいきさつとかどうなの?
W:JACK HAMMERと対バンした時に「うわあ!」とか思ってたから、俺はすぐに「OK!」って思って・・・。
N:「こいつならいいんじゃねえか? 」ぐらいの?
W:いや、しっかり歌えるヴォーカルを探してたから。
Y:俺が誘われた時はちゃんとしたバンドという話じゃなかったよ。ただ単に「セッションやろう!」って感じで。
W:OUTSTANDINGはメジャーを目指してずっと頑張ってきたようなバンドだったから、まあ今度は楽しく、月1回くらいのライヴが出来るようなバンドがいいかなって。
N:当時「プロ志向」って言葉がよく使われてたじゃないですか。で、渡会君と初めて電話した時に「俺らはそういう「プロ志向」とかじゃないから・・・」と言ったら、渡会君が「そんなのはそういう話が来た時に考えればいいんじゃないの?」って軽く言ったので、「そうだよなー。そんなデビューなんて望んだって出来るってもんじゃないしな。」とか言ってたらいつのまにか実際にメジャーでアルバム出すような展開になり、「え"ーっ!?」みたいな。
●とりあえずセッションでもやって・・・ぐらいの軽い流れだったわけですね。
N:そうそう。で、セッションをやろうという話になったら、渡会君が「実はもう1人ギターがいるんで、彼を入れてツインでやりたいんだけど・・・」とか言って。そうしたらスタジオに短髪で妙な感じの男がやって来て、「お?なんだこの短髪くんは??」とか思ったわけですよ。そうしたら渡会君と「久しぶりだね」とか言いながらアンプを2台並べて、 いきなりイングヴェイの"NEVER DIE"の最後のキメのフレーズを2人でハモリ出して。「うわあ!なんだこいつは!?」ってビックリしながらよく見たら「あっ!こいつはOUTSTANDINGのもう1人のギターだ!うわあ、まいったなこりゃあ 」って。
一同:(爆笑)
Y:なんか前の日の夜に突然「明日セッションやるから」って電話が来てさあ・・・ で、一晩でツインにアレンジして・・・。
一同:(笑)
N:それで僕が1人で「これはスゴイ事になりそうだ!」とコーフンして、当時ADMISSION FREEにいた長谷川に「実は今度OUTSTANDINGの2人とやることになったよ」と話したら、「えー?でもあの人(渡会)凄いワンマンだから気をつけたほうがいいよ」って言われて。それから渡会君のワンマン伝説が始まったと(笑)
一同:(爆笑)
W:当時(長谷川とは)会ったこともないのにですよ!!
一同:(爆笑)
N:ワンマン「らしい」とかじゃなくて、ワンマン「だから」って断言されたんで(笑)。で、その後電話した時に「あのさあ、渡会君ってワンマンだってホント?? 」って訊いて・・・。
一同:(爆笑)
Y:自分で「俺はワンマンだよ」って言うヤツはいないよ(笑)。
N:たとえイングヴェイだって、新しくバンドに入るメンバーに「あなたはワンマンですか?」って訊かれたら「いや、そんなことないよ」って答えるよね。凄い愚問でした(笑)。

 

●マスタマとしての初ライヴはどんな感じでしたか?
W:なんかやたらお客さんがいてちょっとビビったんだよね。
N:確か初ライヴがサード・ステージで、2回目がクレッシェンドっていう流れでした。
●対バンは覚えてますか?
Y:初ライヴは覚えてないけど、クレッシェンドはMACBETH、あとはZERO GRAVITY?AIMING HIGH??(注:ハッキリ覚えていないようでした)
Nサード・ステージはOUTSTANDINGのファンがいっぱい来てくれて、「良かった」とか言ってくれたんだけど、自分としては凄く歌いづらくって「いやー、俺ダメダメだったけどなあ」とか思って、「次のクレッシェンドで挽回してやる!」とか思ったのを覚えてるよ。 その2つのハコ(ライヴハウス)がOUTSTANDINGとJACK HAMMERそれぞれのホームグラウンドだったので、最初はその2つでやってみようと。で、2回目にクレッシェンドでやったら「やっぱやり易いなあ〜」って。
●やはり最初の頃は以前のバンドからのお客さんが比較的多かったわけですか?
N:んー、どっちかっていうとお客さんというよりも「友達が」って感じだったよね。
Y:そうそう。だから俺らとしてはお客さんがいるとは思わなかったし。対バンした他のバンドのお客さんが気に入ってくれてだんだん増えてきたって感じでしたね。

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〜デモテープ時代

1996年 1月
 1stデモテープ「Run For Your Life / Wanderer」発表。
1996年12月
 2ndデモテープ「Reach For The Sky」のレコーディング中、上田の腱鞘炎悪化のため、脱退。

1997年12月
 オムニバスCD「目黒鋼鉄宣言」に「The Way I Go」収録。

1998年12月
 オムニバスCD「目黒鋼鉄宣言」に「No Way Out」収録。

1999年 1月
 HASEGAWA(Ba)が加入。
1999年 6月
 デモテ-プ「MOMENTS」発売。

●1stデモの2曲("Run For Your Life"と"Wanderer")は当時の代表曲ということで録音したのでしょうか?
Y:一番最初に作ったのがこの2曲で、それしかオリジナルが無かったから。
N:3曲目に"Reach For The Sky"が出来たと。
●1stデモの反響はいかがでしたか?
N:非常に良かったですね。このデモが切っ掛けで地方とかにもライヴしに行けるようになりました。
W: 最初の頃はOUTSTANDING時代の曲とオリジナル数曲でライヴこなしてました。
●僕が初めてマスタマのライヴを見たのが確か1stデモと"Reach For The Sky"の間くらいの時期で、既にお客さんも沢山いて、結構ライヴも盛り上がっていて「スゲエなあ」とか思ったのを覚えてます。
N:とにかくこの頃はライヴをやっていくとどんどんお客さんが増えていったという感じで・・・。
Y:対バンからは嫌がられたよね。「客を取られる!」とか言って(笑)。

 

●この頃にはもうULTIMATE NETWORKがあったんでしょうか?
N:どうだったんだろ? まあULTIMATE自体があって、それが1つの団体のようなものになる切っ掛けがウチだったのかな。JAF(ULTIMATE NETWORK代表)と知り合って、「企画やってるから出ない?」って誘われて、ウチが結構反響が大きかったからウチを中心にブッキングが増えていったような感じでしたね。
●ULTIMATE NETWORKというのはマネジメントだったんですか?
N:いや、言うなれば「企画屋さん」ですね。

 

●この後、デモテープ(及び新曲)を1曲単位で小出しで発表していく訳ですが、この理由は?
Y:そんなに曲がサクサク出来なかったんです。
W: 基本的にマスタマは曲を作るペースが遅いから。
●でも「1年で1曲」ってのは・・・。
一同:(笑)
N:まあ、1曲で100円のデモならみんな買ってくれるだろうと。
W:でも、"Reach For The Sky"を出した頃は確か"Tell Me Why"とかもあったんだよね。
Y:へんなバラードもあったよ。あと"Midnight Sun"っていうミドルテンポの曲とかも。
N:それなりに曲はあったんですよ。
●そういった中から良い曲を選んでデモにしていった訳ですね。
N:そんな感じですね。
W:スケジュールの都合もあったよね。みんな日曜しかダメだとか色々あって。何ヶ月もかけてアルバムを・・・とかじゃなくて、1日で録音しちゃおう!って。

 

●99年に長谷川さんが加入する訳ですが、加入のキッカケや理由を教えて下さい。
N:お!やっと出た(笑)。
W:デカイ声でね(笑)。
H:もともとやってたバンドが、「絶対にギターは1本じゃなきゃダメ」で「絶対に歌詞は日本語じゃなきゃダメ」って感じだったんですね。まあ、則夫さんのことは20年以上前から知ってて、でも絶対に一緒にやることは無いと思ってたんだけど・・・。
Y:嫌いだったの? 歌が。
H:ちょっとね。
一同:(笑)
N:やっぱヒステリックだったからだ(笑)。
H:で、そのバンドで自分はギターを弾いてたんですけど、ある時ベースが「スラップをやりたい」、ドラムは「16ビートを叩きたい」とか言い出してHR/HMから全然離れていってしまい、もうダメだなと思った時に丁度「マスタマでヘルプでベース弾かない?」って声かけられて。
W: その辺ちゃんと詳しく言ったほうがいいんじゃないの?「嫌なバンドでギター弾くのと好きなバンドでベース弾くのとどっちがいい?」って訊かれたって。
一同:(爆笑)
Y:究極の選択だ(笑)。
N:マスタマのベースの座が空いて1年ぐらい経っちゃって「ああ、いい加減決めなきゃ」とか思ってた時期に、ADMISSION FREEを見にいって「そういえば長谷川、昔ベース弾いてたよな 」とか思って。で、ライヴを見てたら、凄く良いバンドなのにギターだけどう考えても浮いてたんで、どうかなあと思って話を振ってみました。マスタマのベースは難しいし、ギター2本との兼ね合いもあるし、そういうのがよく分かっている人に入って欲しいとなると彼は適任じゃないですか。そこで「嫌なバンドでギター弾くのと、好きなバンドでベース弾くのとどっちがいい?」って訊いたんですが、「考えさせてくれ」 とか言われちゃったんだけど、すぐ3日後に「俺入るわ」と。
一同:(笑)
H: 当時マスタマの"Tell Me Why"と"Reach For The Sky"が凄い良い曲だと思っていて、まあこの曲を演奏出来るならいいかなって。でも加入した途端にやらなくなった。
一同:(爆笑)

 

●ここから不動のメンバーで今に至るわけですが、これだけ長いこと続けてると、よく人には言えない不満とか解散の危機とかあったりするもんですが、どうでしょうか?
N:いやあ、特には。小嶋のドラムがヘタなのでもっと練習させようとかそんぐらいですね。
一同:(笑)
N:あんまり深く考えていないですから。よく「メンバーの人間性がどうの」とかあるじゃないですか。でも「人間性」とか言われたら、その時点で全員ダメだから。
一同:(笑)
N:音楽的な部分でもヘタに色気を出す人もいないし。例えば「こんな要素を取り入れて・・・」とか。そういうことを人から言われたら「うるせえ!」とか言うタイプの人間ばっかだから。
W: あと、メンバーみんな溜めないで言いたい事言っちゃうからね。
N:口汚い罵り合い(笑)。
一同:(笑)
N:まあでもバンドのことは社会生活とかと一緒で、何か問題があったら話し合って解決していくし。スタジオでは結構険悪だったりするけど終わってしまえばそれはそれで良しと。
Y:ずっと引きずるような事じゃないしね。
N:みんな切り替えが早い・・・っていうよりもスタジオから出るとやってたこと全部忘れるようなタイプだし。スタジオから出ちゃうと何一つ決まらないもんね。あ、うちは色んな事をスタジオの中で決めるバンドなんですよ。次のリハーサルの日程までわざわざスタジオに入って決めたり。
一同:(笑)
Y:練習しろっつーの(笑)

 

●「MOMENTS」はそれまでのデモの曲を集めただけの内容だったので、出た当時は正直結構ガッカリしたんですが、これはどういう趣旨で作ったんでしょうか?
N:単に何種類もダビングするのがめんどくさくなってきたので、1本にまとめて売ろうということで。ただそれだけのもんですね。
一同:(笑)
Y:ジャケットに使ってる写真も酷いんだよ。俺なんて鼻に煙草刺してるよ(笑)。
N:ある意味、非常にマスタマらしいよね。
●それまでの活動の総括的な意味があるのかとか思ってたんですが(笑)。
N:そんなたいそうなもんじゃないです。あ、でもそれまで出した音源をまとめたから、今からしてみれば総括か(笑)。
W: 当時いろんな人に、「MOMENTSというデモを出すくらいなら、何故アルバムを作らないのか?」って散々言われたよね。
N:それは単にそんなのめんどくさいから(笑)。まあアルバム作るとなると時間もかかって色々大変じゃないですか。

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〜1stアルバム「Song For The New World 」発表

◆2000年 5月7日
 1stアルバム「Song for the New World」リリース。

"Song For The New World"
1.Departure
2.Say Your Prayer
3.Hold On
4.Wanderer
5.Never Say Never
6.Note Of Glory
7.The Landscape
8.Nothing Lasts Forever
9.Run For Your Life
10. To Eternity

Produced by Mastermind
MMH-2000

DISTRIBUTED by WORLDCHAOS PRODUCTION

 

Y:なんで1stアルバムを作ろうってことになったんだっけ?
N:いや、結構早い時期からアルバムを出してくれとは言われてたんだよ。でも俺は「うちのバンドとしては全然時期尚早だ」と。例えばULTIMATEが盛り上がってきた時期に、その盛り上がりに乗っかって出しちゃうのもいいかもしれないけど、それはちょっと「違う」んじゃないかなって。そういう盛り上がっている時じゃなくて、一回その熱が引いた時点で作らないと意味が無いんじゃないかなと。
●シーンの盛り上がりに便乗してバンドの本当の力が分からないのに勢いで出しちゃうのは確かに怖いですね。
N:あのULTIMATE絡みのムーヴメントは段々何か違う方向に進んでしまっていたから、後半は意識的に距離をとるようになりました。1つのイベントが盛り上がると、そのイベントに出ること自体が目標になってしまって、出たらそれで終わりじゃないですか。じゃあその後はどうすればいいのかっていったら、やっぱり一旦そこから身を退いて、自分達だけでやっていくと。有名な企画に出演して大満足。じゃああなた達はその後は何をするんですか?と。枠を飛び出て自分達でブッキングしていき、次の動きにつなげていこう。そういうのが当たり前だと思うんですよ。まあ、そんなような考えもあって、安易にアルバムを作りたくなかったわけです。バンド間の横の繋がりの重要性を否定するつもりは無いけれど、今って例えばイベントに参加して他のバンドのお客さんに対して「俺たちはこうだけど、みんなどうよ?どう思うよ?」って強気にやっていけないような暗黙の了解的な状況じゃないですか。お客さんもその「イベント」を見にきてて「イベント自体」が楽しかったねと言って帰る。そんな感じに思えるんですよ。ライヴって「俺たちはこういうバンドですよ」という存在証明をする場じゃないですか。そういう部分が今は希薄な感じがします。バンド同士が仲良くなることは悪い事じゃないですけれど、ライヴをやって出しているオーラの方向がちょっと違うんじゃないかなと。マスタマって「駄目だ」と言われてるようなことだらけのバンドじゃないですか。MCはあんな感じ、ギターは弾き倒し・・・。例えば昔って必ず「もっとブルースのなんとかを・・・」とか言われたじゃないですか。でもそんな意見にも「うるせえ!これが俺らなんじゃい!」って言って続けてきたことが、バンドとしてのポテンシャルとか個性とかにどんどん繋がってきたと思うんですよ。だから、何かお手本があってそれをなぞっていくだけだと何も変わっていかないと思うわけで。
●他のメンバーの皆さんはこの辺どう思われましたか?
W: 俺は特に拘りとか無かったなあ。
一同:(笑)
N:うちはいつもこんなもんですよ(笑)。
Y:「一生に1枚アルバムが出せればいいかな」って。
N:ああ、それはあったよね。1st出した時に「目的は達成した!」って感じあったもんね。
Y:「もういいやあ」って思って(笑)。
N:俺なんて、JACK HAMMERでオムニバス音源に参加しただけで「夢がかなったから、もういいかな」って思ったよ(笑)。

 

●1stはどこかレーベルを探したりせずに、最初から自分達で自主制作で出そうと思ったわけですか?
N:そうですね。なにしろどうしてよいのか全然分からなかったですからね。作り始めたら作るほうに精一杯で、とても考える余裕は無かったです。で、長い期間かかって作って、その後に「さあ、どこから出そうか?」となると、更にまた時間が経っちゃうじゃないですか。それは良くないなと。その時にWORLD CHAOSさんの事を聞いて、じゃあディストリビュートだけお願いしようと。レーベルどうこうよりもディストリビュートをどうするかのほうが大変な訳じゃないですか。出来たCDをどうやってCD屋に置いてもらうかなんて分からなかったし、じゃあお願いしようと。
●1stは入手が難しいと聞きますが、廃盤ということでしょうか?
N:そうですねー。1000枚作ってもう手持ちも無いし。
M:実は1stを限定で再発しようか?という話も出ています。具体的にはまだ何も決まっていませんが。その場合、2ndに再収録されている関係で"Never Say Never"が入れられないかもしれません。ジャケット替えてリマスターして、オリジナルよりも多少価格を下げたりとか・・・色々考えているところです。
W: アレンジとか違ってても再収録はダメなんですよね?
M:曲が同じなんでダメですね。
N:じゃあ、 "Never Say Never"の代わりに"Metal Zone"(HELLHOUNDの曲)を入れるとか。
一同:(爆笑)

 

●ジャケットはどういう経緯で決まったのでしょうか? FATES WARNING風とか言われたりしてましたが。
N:そうそう。これは知り合いに2パターンくらい描いてもらって、これがいいんじゃない?って感じで選びました。
●アルバム・タイトル「Song for the New World」というのはどういう意味があるのでしょうか?
N:それは・・・まあ・・・深ーい意味が。
一同:(笑)
N:我々の世代のミュージシャンというのは、ちょっと表現が悪いですが「悪しきジャパメタの幻影との闘い」だったんですよ。いくら凄いことをやったとしても「ジャパメタでしょ?」の一言で片付けられてしまって。そういう時代を一新して、全く新しい世界を作っていこうという気持ちを込めたから、「New World」と。例えば「洋楽のメタル」と「ジャパメタ」の壁とかって今でもあるじゃないですか。そういう意識を無くして新しい世界を・・・と。
●そんな深い意味があるとは驚きました。
N:多分俺以外のメンバーは誰も知らないです(笑)。
一同:(爆笑)
H:それ今考えたんじゃないの?(笑)
W: あ、ゴメン。今俺全然聞いてなかった。
一同:(爆笑)
N:今度このインタヴューを読んで下さい(笑)

 

故障したスネアの修理をしていた小嶋さん、ここで到着
●小嶋さんがマスタマをやろうと思った理由を教えて下さい
N:特に無いよね(笑) ただ前のバンドの延長ってだけで。
小嶋信一(Ds:以下「K」): 新しいギターの人2人を目の前にポンポンと出されたので、まあこれはやらないといけないなと。
一同:(笑)
N:みんなそんなもんなんですよ、うちは(笑)。全く深い事は考えてない。

 

●1stアルバム製作時に、ある程度の数があった曲の中からあの収録曲が選ばれたのは何故ですか? "The Way I Go"、"No Way Out"(注:共に2nd「The Way I Go」に収録)、"Reach For The Sky"(注:3rd「To The World Beyond」に収録)あたりは当然収録されると思ってたんですが。
W: 1stの時って"THE WAY I GO"はまだ無かったよね?
N:いや、あったよ。「目黒鋼鉄宣言」(注:オムニバス・アルバム)に入れたりしたんで、「まだそんなに間も空いてなかったから今回はいいよ」と思って入れなかったんだよ。
Y:"NO WAY OUT"は無かったんじゃないかなあ?
N:いや、それもあったよ。これも「わりと最近録音したから、もういいだろ」とか言ってたんだよ確か。そんな程度で何の深い理由も無いです。
一同:(笑)
N:そんな感じの曲を除いて、比較的新しめの曲を詰め込んだら、ああいう選曲になりました。
●個人的には特に"The Way I Go"が入って無かったのはかなりガッカリでした。
Y:確かに、そういう事を結構言われた記憶はあるね。
N:俺はそう言われて、「いいじゃん、別にライヴでも聴けるし「目黒鋼鉄宣言」にも入ってるし」って思ったよ。
一同:(笑)
●いや、「目黒鋼鉄宣言」はあのイベントに行った少数の人しか持ってなかったんですって。
一同:(笑)
N: いやもう、「そんなの誰かにダビングしてもらえばいいじゃん!」って(笑)。
●"Never Say Never"は他の曲と比べてかなり色の違う印象があるんですが。
Y:俺が最初に作って持っていった時、ボツになりかけましたからね。
N:TUBEっぽいとか言われてね(笑)。
●"Landscape"はライヴでも1度しか見たことがありませんが・・・。
N: 1回か2回しかやってないですね。
●で、ライヴで見て「ありゃ?」って・・・。
一同:(笑)
N:「ヤバっ!」って?(笑)
●結構チャレンジな曲だったように思うのですが、これを入れた経緯を教えて下さい。
N:なんか、嘉哉がバラードを入れたがって。
Y:やはりメタルのアルバムにはバラードが1曲入っていないと。
N:せいぜい40分くらいのライヴのセットリストにバラードなんて組み込めないじゃないですか。だから俺は「そんなのめんどくせえ!」くらいに思ってるんですけど(笑)。
●実際にこの曲をやってみていかがでしたか?
N:いやあ、やれって言われたからやっただけって感じなんで。
一同:(笑)
N:「このバラードやるからね」って言われて、「ええーっ?(嫌そうに)」って。
H:全く積極的じゃないね(笑)。
N:まあ、アルバムの中には「バラード」と「インスト」と「キャッチーな曲」が必須ということで。
●1stアルバムの反響はどんな感じでしたか?
N:当時はバックアップしてくれる団体にも動員に繋がりそうな企画にも全く関わりが無いという、当初の予定通りのシオシオな状態でアルバムを出したので本当に苦労しましたね。リリース後、半年くらいしてからようやくジワジワと反響が来ました。良いと思ってくれた人が他の人に薦めてくれて、今度はその人がアルバムを聴いてライヴに来てくれるようになり・・・というような感じでしたね。

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〜2ndアルバム「The Way I Go 」発表

◆2001年6月
 2ndアルバムのレコーディング開始。
◆2001年12月5日
 2ndアルバム「The Way I Go」ポニーキャニオンよりリリース。

◆2002年 6月
 ドイツのHM雑誌「Heavy, oder was!?」(64号)サンプラーCDに「Dusty Road」収録。
◆2002年10月
 DREAM EVIL東京公演(渋谷CLUB QUATTRO)のオープニング・アクトを務める。
◆2002年11月23日
 メジャー・デビュー1周年記念ワンマン・ライヴを行う。

◆2003年 3月
 バンド主催のオムニバス企画ライヴ「Steel Meets Steel」をスタート
(Vol.1出演バンド: METALごっち/GALACTICA PHANTOM/ArkStorm)。

"The Way I Go"

1. The Way I Go
2. Tell Me Why
3. Dusty Road
4. No Way Out
5. Fire In Your Heart
6. The Ancient Dream

7. Fight To Survive
8. Don't Look Away
9. Reach Out For You
10. Never Say Never
11. Back Against The Wall


Produced by Mastermind
PCCY-01547

(P)2001 PONY CANYON INC./MASTERMIND

●2ndでポニーキャニオンからメジャー・デビューとなるわけですが、その辺りの経緯を教えて下さい。
M:その当時私はポニーキャニオンで彼等の担当A&Rだったのですが、マスタマのリズム隊の高校時代の友人が当時会社にいまして、その人と西荻窪で飲んでいたついでにたまたま誘われて吉祥寺クレッシェンドのマスタマのライヴに行ったんですよ。 でも、その日自分はへべれけに酔っ払っていて、マスタマを観た記憶が全然無いんですよ。行ったのは確かなんですが。
一同:(爆笑)
N:結局みんないい加減だよ。最悪だ(笑)。
一同:(爆笑)
N:何かウチにももっと燃えるようなドラマチックな話は無いもんですかね?
M:後日仕事絡みで他のバンド目当てでライヴに行った時に、偶然にマスタマが対バンだったんですよ。で、お目当てだったバンドよりもマスタマの方が良かったので、当時出てた"Reach For The Sky"のデモを買って帰りました。しばらくしてレコード店でアルバムを発見して、「あ、あの時のバンドだ!」と思って買ったら非常に内容が良かったと。で、2000年の年末の吉祥寺クレッシェンドでのライヴ(LOUD&PROUD)を見て「手掛けてみたいな」と思い、その次のライヴとなった翌年 2月の恵比寿ギルティでのライヴの時に声をかけたという流れですね。
N:いきなり現れて「どうですか?」って言われて、いやそんなのどうですかもこうですかも・・・。「えーーーっ!?」って。
一同:(爆笑)
N:そういえば2000年末のLOUD&PROUDといえば、伝説の「ヘヴィメタルよろしく」ライヴだよね。
一同:(爆笑)
N:1曲目にイングヴェイの"Never Die"のカヴァーをやって、途中で嘉哉に「何かしゃべれよ」ってMCを振ったら、「来年もヘヴィメタルよろしく!!!」って。
一同:(爆笑)
●あの時期に日本のしかもヘヴィ・メタル・バンドと契約するというのは、かなりリスクがあったのではないかと思うのですが?
M:私は洋楽の部署にいて、なおかつMCで「お前ら〜!」とか言うような所謂昔のジャパメタのバンドは苦手だったので、80年代とかあまり日本のメタル・バンドを聴いたりライヴに行ったりはしていなかったんですね。洋楽のメタルを聴く人口ってやはり多いと思います。でも、例えば洋楽の新人をいきなり来日させてライヴを・・・というのは色んな面でかなりしんどいわけですよ。それで、同じやるなら洋楽のテイストを持った日本のバンドの方が、ツアーとかも出来るし良いのではないか?というのが、日本のバンドを探してみようと思った切っ掛けです。マスタマに関わる前にRITUAL CARNAGEをやっていたりして、日本のバンドも悪くないなあと思えてきたというのもありましたね。
N:やっと良い話が(笑)。
M:で、そんなことが偶然にもさっき佐藤則夫が話した「Song for the New World」の話にも繋がる訳ですよ。
一同:ドラマチックだ!(笑)
N:その話って、さっきからずっと考えてた訳じゃないですよね?(笑)
M:「どうインタビューを盛り上げようか?」って?(笑)

 

●メンバーの皆さんはメジャー契約の話を聞いてどう思いましたか?
N:いやもう大変なことになったなと。「とりあえずメンバーと相談します」って答えて、すぐにメンバーの所に行って「おい、大変なことになったよ!どうする!?」って。
一同:(笑)
N:で、とりあえず「やってみるしかないっしょ!」ってことで、やってみました。
W:「スゲエ!!」とか思いました。「ポニキャニだよポニキャニ!!」って(笑)。
H:やること自体が変わるわけじゃないけど、そういう話が来たってことには驚いたよね。
●バンドの目標としてメジャー・デビューというのは良くあると思うんですが、マスタマにはそういうのは無かったんですか?
一同:全く無いです(笑)。
N:マスタマがメンバー間に特にトラブルも無く続いているのは、何か目標を定めて活動していくんじゃなくて、バンドが活動していくにつれてどんどんやらなきゃならないことが与えられていったり、環境が変わっていったり、そういうことに対応するのが精一杯なので、誰も余計な事を考える余裕が無いからじゃないかと。だから、「アルバムを出しました」、「そこそこ売れました」、ときて、そこで初めて「じゃあ次は何をやっていこうか」と考えるような感じなので、初めから目標を掲げることは無いです。強いて言えば、ずっとライヴを楽しくやっていくことが目標かなあ。「何のために活動してるのか?」と聞かれても、単にみんな音楽やメタルが好きでやってるってだけのバンドなんで。「ビッグになりたい」とか野望は無いですね。
●ポニーキャニオンから声を掛けられた時点で、バンド側ではすでに2ndアルバムを作ることを考えていた訳ですか?
N:全然。
Y:曲すら無かったね。
一同:(爆笑)
N:もうかなりストックを使い果たしたような時点で話が来たので、10曲収録と考えて、なんとか4曲は用意出来るから、あと6曲はすぐ作らないとなあと。大変でしたね。
●年に1曲のペースだったバンドが・・・。
一同:(笑)
Y:急ぎましたよ、この時は。
W: レコーディングの前日にスタジオ入って「出来た!」と思ったら、レコーディング当日にあっさり「アレンジ変わったから」とか言われたり。
一同:(笑)
K:叩いてる横で勝手に変わってたり(笑)。
Y:この時期は丁度時間に余裕の有る時期で、その時に曲はだいたい作りました。
N:たった1週間でかよ!(笑)
Y:"Dusty Road"と"Fire In Your Heart"と"Don't Look Away"がそうかな。

 

●1stと違ってメジャーで出すアルバムということで制作環境なども変わったかと思うのですが、レコーディングで何か苦労したことはありましたか?
Y:1stと同じスタジオで録音したので環境に変化は無かったんですが、確かに苦労はしました。「1stよりも良い物を作らないと」ということでプレッシャーもありました。
W:「こんなんじゃお金取れませんよ!」とか言われました。
N:俺は歌詞書くのが大変だと思ったくらいです。発音とかも3rd製作時の時のほうが苦労しましたし。
●"Never Say Never"を再び収録したのは何故ですか?
M:この曲が好きで契約したいと思ったぐらいなので、これは入れたいなと。近いうちに1stも手に入りにくくなるかもしれないしというのもありました。
N:それを聞いて「おおラッキー!1曲作らずに済む!」って(笑)。今ってCD時代だからアナログ時代と比べて収録曲数が平気で15曲とかあったりと、凄く多いじゃないですか。で、一応10曲以上は入れなきゃマズイんじゃないか思ってたので、11曲になって「よし!これで時代にも対応したな」と。
一同:(笑)
AZRAELのAKILLERさんがゲスト参加されていますが、この辺の経緯を教えて下さい。
N:再録なのでちょっと変わった事をやってみようと思って、ゲストを迎えることにしたんですが、誰がいいかと考えたときに彼が思い浮かんで。その時も直前に話を振って「じゃあ明日頼むねー」ってノリで(笑)。初めはちょっとコーラス入れてもらうくらいのつもりだったのが、そのうち嘉哉が「あ、ココも」、「あ、ココも」って言い出して、結局散々歌わせちゃったよね。
●"Back Against The Wall"は個人的に大好きな曲なのですが、これってマスタマ史上最速ですよね。ドラムの小嶋さんはかなり大変かと思うのですが・・・。
K:大変です。なんでこんなに速いんだろ?って思うくらいに。
一同:(笑)
●やっぱりライヴではなるべくやりたくないとか?
一同:(笑)
N:やりたくないというか、やれないというか(笑)。
K:(ボソッと)最近は大丈夫です。
一同:おおっ!!
N:やっちゃう!?じゃあ今日(6/5:U.D.O.東京公演初日)やっちゃう???
一同:(爆笑)
N:「やるぞ宣言」が出ましたので近々やりますよ。
K:まあ来年ぐらいには・・・。
N:来年かよ!!(笑)
●でも、のりをさんもかなりキツイ曲だと思うのですが・・
の:いやもうこれは「フェイク」と「味」で。この時俺はフレディ(・マーキュリー)になりますんで(笑)

 

●2ndのジャケットは色んな意味で良い感じですが(笑)、このデザインはどのように決めたのでしょうか?
N:ジャケットはどうしようかという話になった時に、俺の中では「やっぱケツだろ!」と。
一同:(笑)
W: なんでケツなの?
N:ジャケを手掛けてくれた石井君(Daemonic Majesty)と御茶ノ水のディスクユニオンで偶然会った時に、SINNER「Touch Of Sin」のジャケットを見て「いやー、これからはやっぱケツジャケでしょう!」とかいう話で盛り上がって。あとジャケの色はAMORPHISの「Tales From The Thousand Lake」の青色がいいなあと。で、「Tales From〜」の青と「ケツ」でいきたいと。
一同:(笑)
N:で、「Tales From〜」の崖に「ケツ」があって、「The Way I Go」だから光の道がビ〜!って感じで・・・とか一応自分で小学生みたいな下書きを書いて、それを石井君に渡したら、こんなかっこいいジャケットになったと。
●則夫さん以外のメンバーはジャケットについて希望とか無かったのでしょうか?
Y:いやそんな話は全然知らなくて・・・。
一同:(爆笑)
W: 嘉哉がスタジオで録音してた時に相談したんだよ確か。
N:丁度BGMでKAMELOTの「The Fourth Legacy」がかかってたんですよ。で、あれもケツジャケじゃないですか。で、「こういうのどう?」って。
●皆さんこのジャケットについてはどう思われましたか?
Y:正直「ええ?どうなの??」って思ったよ最初は。
一同:(笑)
W: とにかくジャケットのデザインを決める時に、則夫さんがずーっと「ケツケツケツケツ」言ってウルサイんですよ。俺は嫌だったけど、仕舞いにはもう「そんなに言うなら入れればいいじゃん!」って。
一同:(爆笑)
N:でも、子供の時ってジャケットにケツとかチチとか出てるとワクワクしたもんじゃないですか?そういうのって重要ですよ。だからセクシーなジャケットで・・と。
一同:(笑)
W: 最終的にジャケットは許したけど、CDの盤面のデザイン(ケツのアップ)にはさすがにむかついたよね。俺は大阪で怒った記憶があるもん。
一同:(爆笑)
N:あれは俺とデザイナーの人とで「これいいっすよ!!!」ってゴリ押しで。「これはメンバーも気に入るハズだ!」って思ってたんで、凄い自信満々で「どうこれ!?」てみんなに見せたら怒られて「ありゃ??」って。
一同:(爆笑)
N:マスタマが解散する時は、多分こういうことが原因になると思います(笑)。

 

●"Fire In Your Heart"は非常に異色な曲だと思うのですが・・・。
W: これも最初ボツになりそうだったんだよね。嘉哉がこの曲を弾いた瞬間、全員固まってた(笑)。でもやってるうちになんだか楽しくなってきちゃって。
Y:ある意味ギャグみたいな部分もあるね。ギター・ソロなんかも、俺はNIGHT RANGERが好きだからアーミングと8フィンガーでやろうとか。
●"The Way I Go"というのはかなり古い曲ですよね。で、それをこの時期に収録し、なおかつアルバム・タイトルにしたのはどういう理由があったのでしょうか?
Y:バンドの代表曲で一番マスタマらしい曲なので、それを前面に打ち出そうと・・・って、あれ?みんなそうじゃなかったの??
一同:(爆笑)
N:アルバム・タイトルは「特に思い浮かばないし、ま、いいかコレで」ってぐらいで。
一同:(笑)
N:この曲には実は「俺の三十路はメタル道」という邦題がありまして。今は珍しくないかもしれないけど、30にもなってバンドやってメタルやってというのは、当時はあまりいなかったように思うんですよ。で、三十路メタルの先駆けというかオヤジ・メタルとしての宣言というか。マスタマというバンドの精神性が一番良く表れてる曲だと思いますし。
●のりをさんの書く歌詞はわかり易く共感出来る部分も多くて好きなんですよ。
N:いやあ、難しいのは俺が書いてて覚えられないんで(笑)。ニュースとかもたいして見てないし。
N:わかり易いというのはいいけど、"Back Against The Wall"なんてスゴイよ。「漕ぎ出せ」の後に括弧で「(ゴムボートで)」って付いてるよ。
一同:(爆笑)
N:あれは俺が洒落で勝手に書き加えておいたら、間違えてそのまま載っちゃったと(笑)。
一同:(笑)
N:"The Way I Go"は日本語の訳詞を書く際にもう1つ「俺の三十路はメタル道」ヴァージョンがあったんですよ。「Face to face the way that I like 〜」という部分を「タイマン勝負で4649!」って書いて担当に渡したら、即「駄目です」って。
一同:(爆笑)

 

●2ndでメジャー・デビューをしたことによって、それまでと変わった点などありましたか?
N:認知度が上がった分、ライヴを見に来てくれる人が増えたというのはありますね。2ndを出す直前の盛り上がりはさすがにメジャー・デビューをするということで凄かったです。でも、俺はそういう盛り上がりはあまり過信してなかったです。「こんなの嘘だ!」って。この時にワンマン・ライヴをアルバム発表後1年くらいしてからやったじゃないですか。アルバムを出した直後にやればもっと動員も凄かったと思います、でも、「今のこういうバブリーな盛り上がりに乗っかって浮かれてしまったら、絶対に後で痛い目に合うはずだ」って思ってたから。バンドにとって実力の伴わないテキトーなワンマン・ライヴをやってチヤホヤされるのは絶対に良くないと思ったから、1年間ライヴをして、最後に自分達の力で出来る事をやろうって思ってました。そんなわけで、マスタマにとって「メジャー・デビュー」というのは、ある種の踏絵的な意味合いのものになったと思います。マスターマインドは、自分達の身の丈以上の事は絶対にやってこなかったバンドで、その時点の自分達の実力以上に大きく見せようというのは俺は絶対にしたくなかったし。例え「マスタマって案外ショボイじゃん」とか言われたとしても、そういう風に思われてしまうのがその時点での俺たちの実力だと思うし。まあ、「ヘヴィ・メタル好きなオヤジの頑張っている姿を見せていこう」と。
Y:意識はあまり変わっていないけど、責任は重大になったなと。それまでならおちゃらけて「ま、ちょっとくらい間違えて弾いてもいいかな?」とか思ってたのが・・・。
一同:(爆笑)
Y:いや、そんなことは無いんだけどさ(笑)。ミスは出来ないというプレッシャーのようなものは感じるようになりました。今までだったらちょっとミスしてもヘラヘラして済んでいたのが・・・。
W: いや、自分がミスしても俺の方を見て睨んでたよ!
一同:(爆笑)
N:東京以外のそれまで行けなかったような場所に行った時に、それまで雑誌やCDでしかマスタマに接する機会が無かった方々からサインや握手とかを求められたりするようになった時は、責任が重大になったのかなあとか思いましたね。あと、この時期に強く思っていたのは、「今俺たちがヘタな事をしたら、日本のメタルがナメられてしまう」ということ。日本のライヴハウスでやっているようなメタル・バンド達が、俺たちがヘンな事をすることによって「なんだ、日本のメタルってこんなもんかよ!」って絶対に思われてしまうと。だから下手な真似は出来ないなって。
●そういうある種の気負い的なものもあったせいか、2ndリリース直後のライヴでは則夫さんのMCがガチガチに硬くて真面目な感じになってましたよね。それまでの緩〜い感じと全然違っていたのでビックリした記憶があります。でも何時の間にかだんだん以前の緩い感じに戻ってきてますが、これは意識的に変えてきたのでしょうか?
N:当時はそれまでマスタマを見たことが無い人達の前でやる機会が増えてきたから、様子を見つつって感じですかね・・・。今でこそ知らない人の前でも上手く出来るバランス感覚が身に付いてきましたが。昔は見る側も所謂「ジャパメタ」のイメージを持って見に来るわけですよ。そこに俺が出てきて普通に「う〜っす!」とか言ったら「ええっ??」ってなっちゃうじゃないですか。コミュニケーションが成立しなくなっちゃうんですよ。だから、意識した訳ではなかったけど、本能的にその時期や客層に合ったMCをやるようになっていたという感じだったと思います。
●昔ながらの「おめえら!」調のMCへのアンチテーゼ的な意味があって、緩めのMCをやるようになったというのを以前どこかの記事で読みましたが・・・。
N:まあ、MCでしゃべるのはあくまでも「俺」なんで。俺は人と話す時に「おめえら!」とか言わないですから。
一同:(笑)
N:例えばジェイムズ・へットフィールドがそういうことを言えばカッコイイかもしれないけど、俺が言ってもねえ(笑)。だから、あくまでも「自分の言葉」で。
●これは直接のりをさんのMCの影響という事ではありませんが、最近はMCで「面白いことを言わなきゃいけない」というような風潮があるように思います。で、センスの無い人が無理して面白げなMCをしてライヴを台無しにする場面をよく見かけます。ライヴに足を運ぶ1ファンとして、ホントに勘弁して欲しいと思うんですよ。
N:要は「面白い」事を言おうとしてるんじゃないんですよ。普段の自分がしてる会話をステージ上でやっているだけなんですよ。それを人が面白いと感じているかどうかは俺は良く分からないのが正直なところです。俺はMCでは自分やマスターマインドというバンドの雰囲気を伝えることが役目だと思ってるし、演奏は一生懸命やっている訳だし、その合間はリラックスしてもらえればいいんじゃないかなって。まあ、自分のMCはマスタマにあまり女性ファンが付かない大きな要因となっているとも思ってますが(笑)。

 

●ドイツの著名なHR/HM専門誌「Heavy, oder Was!?」のサンプラーCDに収録されたことで、海外からの反響などはいかがでしたか?
M:メール・アドレスを載せていたので直接海外のファンからメールが届いたりもしましたが、海外の雑誌やファンジン、ネット・マガジンやメタル・サイト、ラジオ局等から「音源を送って欲しい」という連絡がくる事が一時期非常に多かったですね。恐らくCD-Rで50枚以上は送ったはずです。「Heavy, oder Was!?」絡みかは分かりませんが、未だにそういった問い合わせはよくきます。やはり海外のどこでも手に入る雑誌に載ったというのは大きいですね。
●サンプラーCDについては「Heavy, oder Was!?」側からオファーが来たのでしょうか?
M:「Heavy, oder Was!?」は、最初は当時ポニーキャニオンからリリースしていた韓国のバンド、JEREMYの取材をしたいということでコンタクトを取ってきたんですね。で、こういうバンドもいるよという感じでマスタマを紹介したところ、気に入ってくれて・・・。今回の3rdアルバムのリリース時にも、また連絡をくれていたりしています。諸事情有ってまだ音源送れてないんですけどね。

 

DREAM EVILのオープニング・アクトとして、初めて海外のバンドと共演した訳ですが、これが決まった経緯などを教えて下さい。
M:2ndのリリース時に評論家でDJの和田誠さんがかなりマスタマをプッシュしてくれていて、その関係で「DREAM EVILの来日公演にサポートを付けたいんだけど・・・」というお話を紹介していただいたように記憶しています。ライヴまで1ヶ月しかなく、かつ日程が平日だったこともあり、メンバーのスケジュールの調整が大変でした。でもあの当時でマスタマの名前である程度チケットを売る事が出来たので、その辺りを招聘会社さんにも評価していただき、その後に繋がる実績が作れたのは大きかったですね。
●バンドとしてはDREAM EVILのオープニング・アクトの話が来てどう思われましたか?
N:「いや、もうこれはやるしかないだろう!」って。
W:俺はオープニング・アクトの話を貰うまでDREAM EVILを知らなかったから、すげえ気楽に演奏出来たよ。
一同:(爆笑)
N:実は俺もアルバムは聴いていなくて、「じゃあ聴こう」ってCD開けてみたら、中のメンバー写真でみんな目が光ってるじゃないですか。
一同:(爆笑)
N:「うわぁ、怖えー!目が光ってるよー!こりゃどーすっかなあ・・」って(笑)。でも"Heavy Metal In The Night"を聴いて、「あ、この人達とは絶対に友達になれるな」って思って安心しました。
一同:(笑)
N:それまで海外の「所謂ヘヴィ・メタルのバンド」の来日公演に、日本の同じく「所謂ヘヴィ・メタルのバンド」がオープニングで出演するってことがあまり無かったじゃないですか。エクストリーム・ミュージック系では結構ありましたが。そういうことからも、マスタマとしてはここは勝負を挑みたいと。「洋楽志向の人達にマスタマの存在証明をする絶好の機会だ」と。結果、凄く反響もあったので、バンドとして大きな一歩になったと思っています。
●それまでに無かった「洋楽志向のオーディエンス」 ばかりの会場で演奏するということは、かなりのプレッシャーとかあったのでは・・・って、あれ?無かったんですか??
一同:(爆笑)
W: 実際に会場の後ろの方のお客さんの顔までは見えないんですが、前の方のお客さんを見る限りでは「お前らさっさと帰れよ!」という顔では見ていなかったんですよ。そんな事もあって、逆に凄くやりやすかったです。
N:その時は1曲目が終わった時のお客さんのリアクションの大きさに自分らでビックリしました。「え?なんで??俺たちでいいの???」って。
一同:(笑)
●実際に見ていて反応がかなり温かかったのを覚えてます。日本のファンって結構前座に冷たい印象があるんですよね。外に出ちゃったりとか。
Y: あ、俺も(RITCHIE BLACKMORE'S)RAINBOWの時に外に出ちゃったよ。
一同:(爆笑)
N:ひでえな(笑)
●まあ、あの時は明らかに違和感の有るカップリングだったのでしょうがないと思いますよ。
Y:今までマスタマの存在を知らなかった人がライヴを見てくれて、「日本にも結構良いバンドがいるじゃん!」って思ってくれて、それが他の日本のバンドにも目を向ける切っ掛けとかになってくれたら嬉しいなと。その時実際に会場で結構CDを買ってくれる人がいたんですよ。で、CDを聴いてライヴに足を運んでくれるお客さんもいて、対バンのバンドにも興味を持ってくれて・・・。そういうのが増えてくれればシーンの活性化にも繋がりますよね。
N:お!良いこと言うねえ(笑)。
K:嘉哉らしくないねえ(笑)。

 

●メジャー・デビュー1周年記念にワンマン・ライヴを吉祥寺クレッシェンドで行ない、その際にオープニング・アクトとしてJACK ROSEが出演しましたが、素朴な話、オープニングが出るならワンマンじゃないんじゃないかという声もありますが。
N:いや、そんなに拘るようなことではないんじゃないかなあ。「ワンマン」って言わない方がいいならそれでいいし。実際自分達も例えばDREAM EVILとかのオープニング・アクトとして出演して、彼らの名前を借りて紹介してもらったりしてる訳だから、次に来る次世代のバンドを紹介するという意味でも俺はワンマンでも絶対にオープニング・アクトはつけるべきだと思ってます。
●ワンマンという表現には特に拘りは無いということですね。
N:そうですね。その表現がマズイのであれば「長時間ライヴ」とかね(笑)。
一同:(笑)
●ワンマン・ライヴについて感想を聴かせてください。
Nクレッシェンドというライヴハウスとはいえ、170人とかかなり入りましたね。ライヴ自体については頭からケツまでキチンとしたものがやれて良かったなと。あの2時間強という長時間をこなしたことで、やっと一人前のバンドになったという実感がありました。
Y:見た人も楽しんでくれたんじゃないかなと。
N:ぶっちゃけ、敢えて訊けばみんな「良かったよ」って言ってくれるのはある意味当たり前でしょうけど、そうじゃない辛辣な意見も色々あって・・・。俺はあのライヴをやった時に「今、自分達がやれる事は全てやったな」って思ったんですね。で、「じゃあこれからどうするかな」となった時に、「なんでメジャーでクレッシェンドなの?」とか「ただ長い時間ライヴをやっただけじゃん」とか言われて、「じゃあ今度はそういう人たちを納得させられるようなライヴをやっていこう!」と意を新たにしました。そういう意味でも良い経験だったと思います。
●メジャー・デビュー後のワンマン・ライヴなら、一般的にはちょっと無理してでも大きなハコを選ぶように思うのですが。これも先ほど出たように「あくまでも等身大」ということで?
N:はい。あと個人的な拘りとして絶対クレッシェンドでやりたかったというのはあります。
W: 俺もクレッシェンドでやりたかったね。
N:本当にそれまでお世話になってきたライヴハウスだし。あと自分達の事を良く知っていてくれているクレッシェンドでやれば、音作りなどに代表されるような余計な心配をする必要が無いじゃないですか。そういう環境でやれば良いライヴが出来るというのが分かっているので。
●例えばマスタマの活動歴から考えると、一般的な感覚だとそろそろ大きなハコでの展開を期待されてもおかしくないと思います。実際に大きいハコでやることがバンドのイメージアップに繋がったりプロモになったりという利点もあるように思うのですが。逆に小さいハコばかりだと「その程度のバンドなのか」とナメられてしまうとでもいいますか。
N:いやー、そこまで考えてないですね。
●大きなハコでライヴをやるという事が、そのバンドのみならず、シーン全体へ目を向けてもらえる切っ掛けにもなるかもしれないかなあと思うんですね。「日本のバンドも頑張ってるんだなあ」というイメージ作りになったりとか。
N:なるほどねえ。今までは出来る事をやっていくぐらいしか考えてなかったんで。ほんとスンマセン。
一同:(爆笑)

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3rdアルバム「To The World Beyond 」発表

◆2003年4月
 3rdアルバム「To The World Beyond」のレコーディング開始。
◆2003年5月
 日本初のメロディック・メタルの祭典「Melodic Metal Festival in Japan」(Club Citta')に出演
(出演バンド:VIGILANTE<JPN>/DUNGEON<AUS>/DRAGONLAND<SWE>/SKYLARK<ITL>)。
◆2003年7月
 国内でのマネージメントを「Black-listed Management」と契約。
◆2003年8月
 国外でのマネージメントを「Sapphire Management」と契約。
◆2003年8月20,21日
 MASTERPLAN東京公演 2Days(渋谷CLUB QUATTRO)のオープニング・アクトを務める。
◆2003年11月
 3rdアルバム「To The World Beyond」レコーディング終了。
 バンド主催のオムニバス企画ライヴ「Steel Meets Steel Vol.2」開催。
(Vol.1出演バンド: THUNDERSTEEL/ALHAMBLA/AZRAEL)

◆2004年 2月25日
 3rdアルバム「To The World Beyond」徳間ジャパンコミュニケーションズ(Highways Records)より発売
◆2004年6月9,10日
 U.D.O.東京公演 2Days(渋谷CLUB QUATTRO)のオープニング・アクトを務める。

"To The World Beyond"
1. Calling
2. Over Enough
3. Loud & Proud
4. Reach For The Sky
5. Angelude
6. Devil In My Heart
7. Here I Am
8. Freedom Fighter
9. Under Fire
 (I Want To Cry For You)
10. Without Mercy
11. Heaven Or Hell
12. Eye Of The Riot


Produced by Mastermind
TKCA-72658

2004 Mastermind/Black-listed Prod./Highway Records

ポニーキャニオンから徳間ジャパンへ移籍した経緯を教えて下さい。
M:基本的に洋楽部で邦人アーティストを扱えなくなりまして。加えて、メタルというジャンル自体も縮小されて。3rdのレコーディング前にそういった状況になってきた為、キャニオンからリリース出来なくなる可能性があることをバンドに伝えたところ、どちらにしてもアルバムは出すのでレコーディングだけは進めていこうと。そうしたらやはり状況が悪くなってきた為、ではどうしようかということを考え始めたのが去年の7〜8月くらいです。
Black-listed Managementが出来たのも丁度この時期でな訳ですが、やはりこのマスタマの件がマネジメントを立ち上げる切っ掛けになったということでしょうか?
M:端的にそうですね。あと、日本以外の海外を担当する、パット・トーピー(元MR.BIG)やマット・ソーラム(元GUNS N' ROSES〜現VELVET REVOLVER)を手掛けるマネジメントと契約したので、国内を担当する組織が無いと困るだろうというのもありましたね。わかり易く例えるなら、マスタマをIRON MAIDENだとするなら、Black-listedはSANCTUARY(IRON MAIDENのマネージャーがIRON MAIDENの為に作ったマネジメント)だというような形ですね。
●日本で普通に活動しているバンドさんの多くは、多分「マネジメントに所属する」というような意識や感覚ってあまり無いように思うのですが・・・。
N:あまり考えてなかったですねえ。例によって(笑)。マスタマはバンド回りの事が結構大変なバンドなので、そういう面で凄く良かったと思ってます。
●こういう事を無償でやっていくのはかなり大変ではないでしょうか?
M:そもそもそんなにお金がかかるバンドではないですが、お金云々では無い部分の、例えば今回のように海外のバンドのサポートをするとかいう事に関しても、バンド本人達がやるのってしんどいと思うんですよ。スタッフ側としてはお金がかかる云々よりも、バンドになるべく音楽のことだけを考えて活動して欲しいという気持ちがありますので。その部分の肩代わりが出来ればいいなと。勿論、巨額の借金を抱えてまでやっていこうとは思っていませんが、現状ではドリンク代やフライヤーの印刷代を立て替えたとかその程度ですし。だからといって「無償でやってます。偉いでしょ?」とか言う気持ちも無いですし、少なくとも「現状では営利団体ではない」ということははっきり言っておいたほうがいいだろうということで「無償で・・・」と言っているだけです。今後本格的にマネジメント業務を行なっていく上でどうなっていくかは分かりませんしね。

●ちょっと話がずれますが、NOVA-ERAと契約した経緯を教えて下さい。
M:去年(2003年)八王子でNOVA-ERAREAL-TENSIONと対バンでライヴをやった時にREAL-TENSIONのファンになったそうなんですね。で、去年の8月にマスタマとREAL-TENSIONクレッシェンドでライヴをやった時に彼らがお客さんとして見にきていて、その時に知り合いました。で、お互いバンドとマネージメントということで社交辞令など交えつつ「ライヴ見に来て下さいね」「ああ、伺いますね」というような会話になって、9月のライヴを見に行ってひっくり返ったんです。「このぐらいの世代でこういう事をやっているバンドがいるのか」と驚きました。その日出演していた他のバンドと比べても明らかに発散しているオーラのようなものが違いましたし。ウチとしてもマネジメントを立ち上げてマスタマ1バンドだけではなく、若い世代のバンドも紹介していきたいという思いもありました。そんなことが色々と重なって、Black-listedでやってみたいと思った訳です。とにかくインパクトが強くて、ライヴを見たその日に声をかけさせてもらいました。
●今後もピンとくるバンドがあれば増えていく可能性はあるわけですね?
M:それを受けるスタッフの人数の問題でいきなり増やすことが出来ないというのはありますが、マスタマやNOVA-ERAと同じだけの感動や情熱を感じさせてくれるバンドがあれば、ウチとしてはそれに対する用意というのはあるつもりです。

 

●海外ではSAPHIRE MANAGEMENTと契約ということですが、現時点で何か具体的な動きなどありましたら教えて下さい。
M:今の時点で何か契約が決まりそうというような話はまだないのですが、定期的に行なわれている海外の見本市などに行ってヨーロッパや北南米、オセアニア、アジアのレーベルなどにアプローチをしてもらったりはしています。現状ではまだ顔見せ的な状況ですね。
●海外でもライヴをやろうというような野望は無いですか?
N:「やれたらいいかなあ・・」ぐらいの「願望」 ならあります。
一同:(笑)
Y:日本のバンドが向こうでどれだけ受け入れられるものなのかというのをみたいというのは単純にありますね。
●"WACKEN"(毎年8月頭に行われるドイツの巨大メタル・フェスティヴァル)に出たいとかはそういう希望は・・・。
N:いや、出たいか出たくないかを訊かれて「出たくない!」っていうバンドはいないじゃないですか。逆に、「海外デビューを目指してます!」 とかいうのはそんなに軽軽しく口に出してよいものではないと思ってます。もっと重みのある事だという認識です。

 

●"MELODIC METAL FESTIVAL IN JAPAN"(通称スカ全)に出演した感想を教えて下さい。このイベントは来日バンドも比較的若いバンドが多かったので、それまでと比べるとやりやすかったのではないかと思うのですが・・・。
N:いやそんなことはないですよ。基本的に俺らって心配性なんで。結果的には思った以上のリアクションをもらうことが出来て良かったなあと。
●MCにおける「メタルで人生をちょっと損してる人たち〜」という名言がお客さんのハートをガッチリ捉えたように思いましたが。
一同:(爆笑)
N:始まる前に楽屋で「うわあ!すげえお客さん入ってるなあ。こんな平日にみんないい年こいて。この歳までCD買わなかったらマイホームの頭金ぐらいにはなってるよねえ」とか話をしていて。そんなことがあって、まあMCでもツルっと口がすべって言ってしまったと。
一同:(爆笑)
N:でも、このフェスティヴァルというのは、「今までの大手資本とかが全く絡まないで、メタル・ファンの人たちが好きなバンドを一生懸命呼んで開催しました」という意味で本当に大きな意義のあるものだったと思うんですね。そこに俺らが出られたというのは非常に嬉しかったですね。

 

MASTERPLANのオープニングですが、この時はある程度の慣れみたいなものはありましたか?
NDREAM EVILの時と同じ会場という意味での慣れはありましたが、やっぱりお客さんの層がまた違うと思うので・・・。
Y:「慣れ」 はあったかもしれませんが「不安」はやっぱりありました。ま、今回(U.D.O.)もそうなんですが。
N:毎回お客さんが違うじゃないですか。一番マニアックなのが"スカ全"。次が"DREAM EVIL"。で、"MASTERPLAN"となるとHELLOWEENとかが好きなお客さんになるわけじゃないですか。そういう人たちに俺らの音はどうなのかなあと。勿論今回のU.D.O.も更に違ったお客さんなわけで。そういう意味でも1回1回がチャレンジという事で毎回違った緊張感や不安はありますね。

 

●そして満を持してマスタマによる企画イベント「Steel Meets Steel」が始まるわけですが、このイベントはどういう趣旨によるものなのでしょうか?
N:まずは自分が見たいような面白いイベントをやりたいと。あと、この年はレコーディングにかかりきりで精力的なライヴ活動は出来そうになかった為、「マスタマというバンドがココにいますよ〜!」という存在アピールみたいな意味もありましたね。コンセプトとしてはマスタマはなるべく1番目か2番目に出て、さっさと演奏終わらせて、自分達がビール片手にお客として見たいと(笑)。出演バンドについては、一緒にやってみたいバンドに加えて、オープニング・アクト的な意味合いのバンドにも出て欲しいなと思ってまして。だから第一回はJUDAS PRIESTのコピーバンドの"METALごっち"に出てもらいました。その時に「文字通りコピー・バンドを見にくる熱いお客さん」が沢山来てくれまして。、そういう人たちにも逆に俺らを見てもらうことによって、またお互いに何かが生まれていくんじゃないかなあ・・って。

 

●3rd「To The World Beyond」は今までとはややイメージの違うアルバム・ジャケットですが、これはどのように決まったのですか?
N:まず「ケツは禁止」と。
一同:(爆笑)
W: 「2枚目がケツだったから、やっぱ3枚目はチチだろ!」ってのりをさんが言ったんで、「それだけは絶対にイヤだ!!!」って。
N:俺が今回のアルバムでたった1つ心残りだったのがジャケットなんです。
一同:(爆笑)
N:勿論、今回のアートワークは作品として文句の付け様の無い素晴らしいジャケットなのは確かです。99点は付けたいです。でも敢えて俺が言うなら、この宇宙船にケツ出した人が乗ってたりとかしたなら、もう満点ですね。
一同:(爆笑)
Y:俺は初めて見た時からもう「ステキ!」って。まさに「その先の世界へ」って感じで(笑)。

 

●"Loud & Proud"というのはかなり昔からある曲とのことですが・・・。
N:ええ、元々"Knock You Out"というタイトルで。それ以前に曲のタイトルとして"Loud & Proud"ってカッコイイなというのはあったんですよ。で、ある日吉祥寺クレッシェンドで「メタルのイベントを始めるんだけど、何か良いタイトル無い?」 って聞かれて「"LOUD&PROUD"とかいいんじゃないの?」って答えて。それ以来あのイベントはあの名前で続いてるんですよ。今考えれば、なんか著作権とかそういうのがもらえるようにしとけばよかったなあと(笑)。
●今回は結果的にバンドとしては古い曲が多く収録されてますよね。で、これでだいたいストックも出し尽くしたということで、またここがバンドにとって一区切りになるのではないかと思うのですが。
N:そうですねえ。どうすっかなあーって感じですね。
W: いや、大丈夫だよ。
一同:おおお!!!
N:今の発言はすごいデカいフォントにしておいて下さい。
一同:(爆笑)
Y:次はカヴァー・アルバムで(笑)。
N:で、その次は「ベスト・オブ〜」を出して、で、その後に残った曲で「ワースト・オブ〜」と「レスト・オブ〜」を出して(笑)。
●ライヴ盤は?
N:ライヴ盤は手直しするのが大変そうなので止めときます(笑)。
●3rdは2ndの時と同様に「マスタマの基本路線を踏まえつつ、無理の無い最大限の範囲で曲調を広げた」という印象があるのですが、特に意識した部分とかありましたか?
N:今回はライヴを想定して敢えてハードな曲を多く並べてみました。「バラードはライヴでもほとんどやらねえからいいだろ!」って。
一同:(笑)
●バラードが入らなかったことに対して、嘉哉さんは不満とか無かったですか?
Y:あ、今回は特に。
N:無きゃ無いでいいんだろ?
一同:(爆笑)
Y:まあ今回は曲のアイディア自体が無かったもんで(笑)。
●インストが3曲というのは曲数から考えて結構多いようにも思いますがいかがでしょうか?
W: 1曲目の"Calling"は1stに入っている"Departure"という曲をずっとライヴのオープニングでやっていて、そろそろそれに代わる新しい曲作らない?とか言われて。で、「似ててもいいから」って言われたので・・・。
一同:(爆笑)
Y:うちらの間では"デパ2"とか言ってるよね(笑)。
N:「似ててもいい」っていうよりも、マスタマのライヴのオープニングに演奏される曲としてむしろ似ているほうがいいんじゃないかと俺は思いました。
W: "Angelude"は元々その次の"Devil In My Heart"のイントロ程度にちょこっと何か付けようと思ってたら、作っているうちに意外と長くなっちゃったので、2曲に分けたほうがいいだろうということで単独の曲になりました。
N:まあ、アルバムのトラック数を稼ぐという意味でもあるんですが(笑)。
●そして3曲目が"Freedom Fighter"。これは展開とか非常に練られていてメロディックで好きな曲なんですが、2ndのインストと比べても格段に進歩を遂げたように思います。
Y:考えましたよー。今回はそうとう頭使いました(笑)。
●"Under Fire (I Want To Cry For You)"にはイントロ部分のフレーズなどから意外と斬新な印象を持ったのですが。
N:確かに「ありそうで無かった」感じかもしれないですね。これは作曲者も違うし(マスタマ名義では初の長谷川氏作曲の作品)、作曲の時に使った機材も違うしね(笑)。
●あ、確か携帯の着メロで作ったとか。
H:普段もよく電車乗りながらとか、携帯で曲作りとかしてるんですよ。"Under Fire"は曲のイメージは以前から持っていて、自分がスタジオでギターとかで説明してもうまく伝わらないかな?と思って、ドラムもギターもベースもヴォーカル・ラインも全部着メロで作って渡しました。その時の評判は凄い悪かったですね。
一同:(爆笑)
●3rdの反響はどんなもんでしょうか?
N:どうなんでしょうか?まあ「点数」は悪かったけどね。
一同:(爆笑)
N:実際に聴いてくれた人からの反応は良いですし。思ってたよりも良いかなあ。前作の時はメジャー・デビューということで「お祭り」的なムードもあった訳ですが、今回はその時とは違って落ち着いた状況の中で確実かつ良い反応をいただいているという印象です。

 

●本来プロモとして有効な手段や場所であったはずの大手雑誌媒体とかが現状では正直あまり頼りに出来ないと思うんですね。そういう状況の中で、マスタマとしては今後外に向けてどういったアプローチをしていこうと考えていますか?
M:そもそも"メタル"というだけである意味今のマーケットの中ではアゲンストなのに、更に"日本のメタル"となると出て行ける場所ってなかなか少ないじゃないですか。だから、そんな少ないチャンスを確実に狙っていこうというのは当然あります。今あるものをこっちから排除していくということは無いし、むしろ興味を持ってくれるところから「一緒にやりませんか?」というような話があれば積極的に乗っかっていきたいですね。例えば今だったら、認知度も高まっている携帯の着メロ・サイトとか。着メロのサイトって、数万から数十万という単位で会員の方がいるので、そこに例えばそこにバンドやアルバムの紹介文を載せてもらうということは、雑誌に載せてもらったりするのと規模としては変わらないわけじゃないですか。勿論、「だから雑誌はいいや」という話では決してありませんが。誠実さを持って興味を持ってもらえるところと一緒に真剣にやっていきたいなと思っています。「どこそこしかないからそこに無理やり」というのではなく、それなら例えば今回の着メロ・サイトのような新しいメディアとして考えられるものにアプローチしていきたいです。
●バンド側としてはこの辺りどう考えていますか?
Y:以前よりも地方とか行く機会が増えてきて、そういう事自体がまずプロモーションですよね。
N:雑誌にあまり良くない点数やレビューが載って「これじゃ販売してくれるCDショップもひいちゃうだろうなあ・・困ったなあ」と思ってましたが、実際にメタルに力を入れている大手のCDショップはちゃんと平積みで置いて紹介文とかを付けてバンバン売ってくれてるんですよ。そういうのを見ていると、結構みんな色々考えると思うんですよ。「なんでレコード屋さんと雑誌とでこんなに温度差があるんだろう?」とか。そういう切っ掛けになってくれればいいかなと思います。実際俺がCD買う立場だとして、雑誌見たあとにCDショップ行ったら「なんなんだろこの状況は?」って不思議に思いますよ。バンドとしてはこういった状況の中、ライヴをやったりして「実際に観たら、聴いたら良かったよ!」と言ってもらえるようにこれからも頑張っていけば、また違う流れができるんじゃないかなと。インターネットやファンジンやフリーペーパーなどの、今までとは違った媒体で何かが起こってきたのではないか?と考えてくれる人が増えてくれれば嬉しいですね。
●実際に販売する立場としてどうですか?
真田賢司(すみや/METAL ON METAL:インタヴュー・オブザーヴァー):いやあ、あの点数を見た時はさすがに「あちゃあ!」って思ったよ。売る側から言わせてもらうと、今回に限らず点数が低いと実際に売上げに響いてくるんですよ。まあ逆に、点数の良い作品はその分確実に売れるので助かっているんですけどね(笑)。さっきの話に出たように、雑誌媒体にプラスして、それとはまた違った場所からの影響が増えていけば、商売としても面白いし、シーンも面白くなっていくと思うんですよ。そういう部分での努力は自分を含めて色々やっていかないとイカンですね。
●あと、プロモーションの場としてやはりネット上のオフィシャル・サイトも重要な役目を担ってますよね? 最近リニューアルされましたが・・・。
M: 以前のオフィシャル・サイトは雑誌やCDでマスタマを知って訪れてくれた人がご覧になられた場合、そのままでは正直クオリティに大きく問題があると思ってましたので、今回リニューアルしました。例えば、海外のバンドに興味を持ってサイトを見てみたら「なんじゃこりゃ?」みたいなのって結構あるじゃないですか。それじゃマズイだろうと。3rdアルバムに絡んでアートワークや素材などもある程度使えるものが揃ってきたというのもあって、今がそのタイミングだと。

 

●マスタマがメジャー・デビューした時期とその前後って、BLINDMANや陰陽座が同じくメジャー・デビューをしたり、シーン全体が上昇気流に乗っかっている印象を受けたのですが、今は逆に停滞しているように感じます。メジャー・バンドが解散したり、インディーズでも活動停止やメンバー・チェンジが確実に増えてきたり。ここにきていくつかの若いバンドが頭角を現し始めつつあるものの、多くのバンドについては個性やクオリティに欠けている。1ファンとして正直現状ってそれほど面白くないんですよ。マスタマがメジャー・デビューした時って、「シーンに目を向けてもらう切っ掛けになれば・・・」ということを発言されてましたが、現在のシーンを踏まえた上で、今のマスタマは今後どういった姿勢でどういった活動をしていくのか教えて下さい。
N:正直、今は時期が時期なだけに、シーン全体がどうこうというよりは自分達の活動をしっかりやっていきたいと。でも、俺たちが今ここで活動を止めてしまわないことが、例えば陰陽座とかのような売れている存在では無い多くのバンドも、シーンで頑張っているんだよということを世にアピールする証のようなものになるんじゃないかと。

 

●では最後にこの記事を見てくださる方々にメッセージをお願いします。
K:まだまだ日本のメタルについて偏見を持っている方もいるかと思いますが、まずは1度観てみて、聴いてみてから判断して欲しいです。それで嫌いだったら嫌いでいいです。もし気に入ってくれたなら、一緒にシーンを盛り上げていきましょう!
H:ライヴハウスに是非足を運んで欲しいですね。
W: 日本だとか海外だとか関係無く、ライヴも観に来なくてもいいから・・・。
一同:(爆笑)
W: とにかく楽曲を聴いて欲しい。それから日本だ海外だというのを考えてもらって。それでちょっとでも興味を持ってくれたならライヴに来てくれれば・・・感動するでしょう!!
一同:(爆笑)
N:ホント?ホント?(笑)
W: こういうのは言ったもん勝ちじゃないの?(笑)
Y:まあ、これからも解散せずに・・・ 。
一同:(爆笑)
Y:良い曲を書いていきます。
N:メタルをしつこく愛し続けてきたオヤジ達の姿がマスターマインドというバンドなので、皆さんもずっとメタルをしつこく愛し続けていけば、きっといいことがありますよ。そんな感じすかね。
M: 意味分かんねー。
一同:(爆笑)
N:何か上手くまとめて感動的な一言で締めくくったということにしておいてください(笑)。

●ありがとうございました。この後のU.D.Oのオープニング・アクトでのライヴも頑張って下さい。


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